「マカロニ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎概要: 何と何が「同様」か明示
編集の要約なし
10行目:
いずれも、[[小麦粉]]に[[塩]]を加えてこねた後、底に環形の穴(内側の円盤は棒状の支持材で固定する)をいくつか開けた、筒状の成形器具に入れ、圧力を加えて押し出して中空状に成形する。長さは押し出しのスピードと、切るタイミングの調整で決める。現代の工場生産では、回転する刃で高速に切断することで、短いマカロニを作る。曲り具合は、主に環状の穴を開ける向きで決まる。穴の形を変えると変則的な形のマカロニを作ることができる。現在は円筒形が主流であるが、元は菱形であった。
 
俗説では[[マルコ・ポーロ]]が[[中国]]から持ち帰った[[小麦粉]]を練った食べ物を教皇に献上した際、あまりの味の良さに「おお、すばらしい(Ma Caroni)」といったことが命名の由来とされているが、マルコ・ポーロが帰国したのが1295年で、その前の1279年に[[ジェノヴァ]]の公証人が作成した財産目録に「マカロニ一杯の箱」とあり、名称の由来ともども中国から持ち帰ったとする説も、認められるものではない。イタリアの語源辞典では大麦のお粥のようなものからとしているが、『食文化百科』では「小麦などを練る」の「マッカーレ」から派生した「マッコ」を語源にしているという<ref>[[西村暢夫]]『イタリア食文化こぼれ話』[[文流]] 2013年p.10f.</ref>。はっきりとした事情は不明だが、少なくとも14~15世紀のイタリアでは、小麦粉を練って成形、茹でて料理したものの総称として「マカロニ」の語が使用されていた。今日のように穴の開いたパスタを表わす語となったのは、17世紀以後とされる<ref>21世紀研究会・編『食の世界地図』183頁・文藝春秋社</ref>。
 
[[ベトナム]]には、[[コメ]]の粉でマカロニと同じ形に成形した[[ライスヌードル]]がある。
29行目:
 
== 歴史 ==
* [[1292年]]に[[マルコ・ポーロ]]が中国からイタリアの[[ベネチア]]に持ち帰ったという伝説があるが、歴史的な定説とはなっていない。[[16世紀]]までに存在していたことは明らかである。
* 日本には[[明治|明治時代]]までに紹介されており、[[1872年]]に出版された日本で最初の[[西洋料理]]解説書『西洋料理指南』は竹管の如き「温純」([[饂飩]])として長いマッケローニを紹介している<ref>敬学堂主人、『西洋料理指南』下p27右、1872年、東京、東京書林雁金屋 [{{NDLDC|849074/28}}]</ref>。
* 日本では[[1883年]](明治16年)、フランス人[[宣教師]]の[[マルク・マリー・ド・ロ]]が[[長崎市]]に日本初の工場を作り、製造を始めている。このマカロニ工場(旧出津救助院)は、[[2003年]](平成15年)[[12月25日]]に、国指定の[[重要文化財]]に指定されている<ref>[http://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/448/ 旧出津救助院] - ながさき旅ネット</ref>。