「藤子・F・不二雄」の版間の差分

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藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}は仮通夜にて、「気持ちは混乱していまして、正直言って今朝からずっと足ががたがた震えてて、すごく残念でしょうがないんです。彼はたいへんな天才だったと思うんですね、僕なんか彼がいたから漫画家になれたようなものでね。すごくピュアな気持ちの男だったんですね」と語った。また、『[[まんが道#愛…しりそめし頃に…|愛…しりそめし頃に…]]』の連載中に亡くなったことを受け、追悼として読切作品「さらば友よ」を執筆した。
 
[[1996年]](平成8年)[[9月29日]]に[[上野]][[寛永寺]]で挙行された葬儀には、多くの人が参列し、出棺の時には「ありがとう弘さん」と大勢の人に見送られた。[[大山のぶ代]]は、葬儀のときに、「本当のお葬式の日、ドラえもん、のび太君、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫、ママ、パパみんなで先生を送りたいと思います」と涙をこぼしながら語った<ref>大山のぶ代著[http://www.shogakukan.co.jp/ddesita/ 『ぼく、ドラえもんでした。』]</ref>。その後、遺体は[[荒川区]]の[[町屋斎場]]にて荼毘に付された。また、葬儀の日9月29日には、追悼特番として『[[ドラえもん のび太の日本誕生]]』がテレビ朝日系列で放送された。
 
なお、訃報に際して、長きに渡って映画ドラえもんシリーズの主題歌を制作していた[[武田鉄矢]]は、[[1996年]](平成8年)公開『[[ドラえもん のび太と銀河超特急|のび太と銀河超特急]]』を最後に主題歌制作から外れた<ref>ただし、[[2010年]](平成22年)の『[[ドラえもん のび太の人魚大海戦|のび太の人魚大海戦]]』のみ例外で、映画30周年を記念して再び武田が挿入歌を制作した。</ref>。