「コンコルド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
82行目:
[[File:Air France Concorde; F-BVFF@GVA;09.09.1995 (6083478845).jpg|thumb|225px|エールフランスとブリティッシュ・エアウェイズのコンコルド]]
[[File:Queen Elizabeth II and Prince Philip disembark from a British Airways Concorde.jpg|thumb|225px|アメリカ合衆国テキサス州訪問にブリティッシュ・エアウェイズのコンコルドを使用したイギリスの[[エリザベス2世]]女王と[[フィリップ (エディンバラ公)|エディンバラ公]]夫妻(1991年5月20日)]]
一時は上記のとおり世界中から受注したもののキャンセルが相次ぎ、製造は最終的に量産機は英仏の[[航空会社]]向けの量産に僅か16機(これ以外に原型機が4機)のみが行わ製造されたに過ぎず、商業的[[1976年]][[11月2日]]は失敗に終わっ製造中止が決定された。開発当時は「250機で採算ラインに乗る」ともいわれたが、その採算ラインを大幅下回製造数く[[1976年]][[11月2日]]に製造中止が決定された。キャンセルされた、または不人気だった理由には以下のようなものがある。
 
* 通常よりも長い滑走距離を必要とすること、またその騒音および[[ソニックブーム]]の影響を避けるために航路や乗り入れ先を選ぶコンコルドは、限られた[[航路]]に就航できたにすぎなかった。さらに「ソニックブームを発生させるため」との理由で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]をはじめとするいくつかの国では、超音速飛行を海上でしか認めなかった。また、[[アメリカ合衆国|アメリカニューヨーク]]の[[ジョン・F・ケネディ国際空港]]への離着陸が認められるまでにも、環境保護団体との裁判による決着を要した。<!--なお、このようになったのは、超音速機[[ボーイング2707|B2707]]の開発を断念した[[ボーイング]]社からアメリカ政府への工作があったからといわれている。-->
 
* 飛行距離が短いことに加えて上記の諸事情から、[[大西洋]]は飛び越せても途中[[給油]]無しでは[[太平洋]]を越えられず、西ヨーロッパやアメリカ本土から[[日本]]や[[香港]]などへの無着陸直行便という、当時需要が伸びていた[[極東]]路線への就航ができなかった。
 
* 乗客の定員が100人と少なく、運賃は他機種の[[ファーストクラス]]の約20%増し<ref>「世界のエアライン」1979年 ブリティッシュ・エアウェイズ広告(表4)</ref>と高額であったため、乗客利用者はごく限られていた。経済的にも収益が上がらない上、[[オイルショック]]による[[ケロシン|燃料]]価格の高騰がこれに拍車をかけた。
 
* [[旅客機]]による飛行が、エグゼクティブ層向けから運賃が安くなることで大衆化するにつれ、航空業界は[[ボーイング747]]のように低コストでかつ大量輸送が可能な機体を重視するようになった。なおボーイング747は、コンコルドやボーイング2707の就航後は貨物機に改修されたり、団体客用の[[チャーター便]]専用機になることが予想されていた。