「ロベルト・シュトルツ」の版間の差分

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[[File:Robert Stolz Memorial 2.jpg|thumb|right|210px|[[プラーター公園]]にある記念碑。歌曲『プラーター公園は花盛り』の一節が示されている]]
[[File:Grab von Robert Stolz auf dem Wiener Zentralfriedhof, Gruppe 32 C, Nummer 24 (Dez. 2014).jpg|thumb|right|210px|[[ウィーン中央墓地]]にある墓]]
オーストリアの[[グラーツ]]出身。[[ウィーン国立音楽アカデミー]]卒業後、[[ベルリン]]で[[フンパーディンク]]に師事。ウィーン・オペレッタ最末期の作曲家の一人として『春のパレード』などの作品を発表し人気を得た。[[ナチス・ドイツ]]時代は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に亡命し<ref name="ニューイヤー2016〈国連行進曲〉"> [[若宮由美]]「[http://www5fjohann-strauss-society.biglobe.ne.jpcom/~straussimages/nyconcertpdf/ny16.pdf ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2016 エドゥアルト・シュトラウス没後100年を祝して 曲目解説]」より〈国連行進曲〉</ref>、『[[モナ・リザの失踪]]』などの映画音楽を手掛けた。作品番号が2000に達するという稀にみる多作家であり、「'''20世紀の[[ヨハン・シュトラウス2世|ヨハン・シュトラウス]]'''」と称えられた。
 
彼の作品の中にはワルツ『ウィーンのカフェ』や歌曲『プラーター公園は花盛り』のようによく知られた作品もあるが、全体的にさほど上演機会は多くなく、今日では作曲家としてよりも残された膨大な録音から主に指揮者として知られる。ことに[[ウィンナ・ワルツ]]や[[オペレッタ]]に関しては同時代の[[ヴィリー・ボスコフスキー]]や[[アントン・パウリク]]と並ぶエキスパートとして君臨。やや大味ながら情緒ゆたかにたっぷりと歌い上げる指揮ぶりは、ボスコフスキーや[[クレメンス・クラウス]]の抑制的にまとめるスタイルとは一線を画し、古きよき19世紀の姿を伝えるものとしてファンも多い。録音のうち最も知られるのは1960年代に独オイロディスク社に残したオペレッタとウィンナワルツで、後者は日本では年代順にLP十数枚に集大成されたセットとしてまとめられ、のちにCD版も発売された。他には独[[EMI]]や独[[BASF]]への録音が多く国内販売されている。