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[[1974年]](昭和49年)の知事選では、前年の[[オイルショック]]の影響を受け産業基盤整備が遅延し、離反した社会党勢力による候補者擁立など不安要素はあったものの三選を果たした。不況が持続していた三期目では[[山梨県立美術館]]の建設や[[山梨県立県民文化ホール]]の着工(完成は望月県政期)などとソフト面を強調した県政を推進し、「文化不毛の地」と評されていた山梨県における文化事業の推進を行う。
 
県政末期には日本経済も安定成長期に入ったため県財政も好転し四期目を志向するが、この頃には金丸信は国政においても影響力を強めており、県政でも天野前知事の政治勢力を継承し県議会でも最大勢力となっていた。金丸派は四選阻止のため、社会党勢力と結束し副知事の[[望月幸明]]を対抗候補に擁立し、[[1979年山梨県知事選挙|1979年(昭和54年)の知事選]]では1万2000票差で敗北した。
 
=== 国政への復帰・晩年 ===