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=== 横綱昇進 ===
新横綱となった1970年3月場所から、師匠である片男波の現役時代の四股名である「'''玉の海'''」を継いで'''玉の海 正洋'''と改めた。昇進伝達式では、本来「謹んでお受け致します」と言うべきところを「喜んでお受け致します」と言ってしまい、こうした事例に現れるような明朗快活な性格<ref name="nishonoo22"/>から当時は「現代っ子横綱」と呼ばれることが多かった。なお、昇進伝達式では「喜んでお受け致します」の続きとして「'''今後横綱としての体面をけがさぬよう努力いたします'''」と述べた<ref>Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p63</ref>
 
横綱昇進以後、横綱3場所目(1970年7月場所)で9勝6敗の他は毎場所優勝を争い、12勝3敗も2場所のみ、1970年9月場所から4場所連続で14勝を挙げ、このうち3度は優勝している。大鵬とは連続して14勝1敗同士の優勝決定戦を行い、大鵬最後の優勝(通算32回目)を許した1971年1月場所には「何のこれしき。(自分が)弱いから負けるんだ」と発言して再起を誓った。地元名古屋での7月場所には夢の全勝優勝を果たし、多くの識者から「まもなく北玉時代から、玉の海独走時代になる」と期待され、双葉山の再来とまで呼ばれるようになる<ref name="nishonoo22"/>。