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|valign="top"|[[1870年]]、日本の「朝鮮国交際始末内探書」に「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」の記述がある。この時日本人の呼ぶ「竹島」は[[鬱陵島]]で、「松島」は独島(現在の竹島)である。日本は独島を朝鮮領と認めている。当時の韓国地図は全て絵図であり、正確な距離などは記されなかった。
|valign="top"|[[File:DaedongyeojidoUlleungdo.png|thumb|「[[大東輿地図]]」の鬱陵島(1861年)。鬱陵島の東に現在の竹嶼と比定できる「于山」と記された島が隣接している。]]
[[File:日の出展望台から見たチュクド.jpg|thumb|日の出展望台から見た竹島(竹嶼)]]
「朝鮮国交際始末内探書」の「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」は明治政府が朝鮮の古文献を調査した結果で、朝鮮の文献では[[于山島]]を松島としている。于山島は朝鮮の多くの古地図より鬱陵島の西や北そして次第に現在の[[竹嶼]]を描いているので、この松島は現在の竹島でないことは明白である。
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|valign="top"|[[1877年]]、日本は[[太政官]]指令により「竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」としている。またその経緯を纏めた太政類典第二編にも「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」としている。「竹島」が鬱陵島で「外一島」が独島(現在の竹島)であることは「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に添付された「磯竹島略図」や本文から明らかであり、日本はこの時独島を朝鮮領としている。{{efn|[[名古屋大学]]教授の[[池内敏]]は、「外一島」が独島ではないとする日本側の主張は「強弁」にすぎず、「外一島」は独島であり<ref>池内敏著『竹島―もう一つの日韓関係史』(2016) p.114</ref>、1877年の太政官指令は独島を日本領土外としたものと了解するよりほかはない<ref>池内敏著『竹島―もう一つの日韓関係史』(2016) p.116</ref>、としている。}}