「定常経済」の版間の差分

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'''定常経済'''すなわち'''定常状態の経済'''({{lang-en-short|steady-state economy}})とは一定の''物理的な''財産([[資本]])と一定の[[人口|人口規模]]から成り立つ経済である。実際には、このような経済は時間経過において[[経済成長|成長]]しない。その用語は通常特定の国の[[経済|国民経済]]を指すが、しかしそれはひとつの都市や地域、もしくは[[世界経済|世界]]の経済システムについても適用しうる。初期の[[経済思想史]]において、18世紀の[[古典派経済学|古典派経済学者]]の[[アダム・スミス]]は経済の''定常状態''({{lang-en-short|stationary state}}})の概念を展開した:スミスは世界のいかなる国民経済も早晩[[定常]]の終局状態に落ち着くだろうことを信じた。
 
1970年代以降、定常状態の経済の概念は[[環境経済学|環境経済学者]]の[[ハーマン・デイリー]]の主導の仕事をもって主に関連してきた。<ref>{{sfnpharvnb|Daly|1991}}{{rp|=, p. xi-xvi}}</ref>経済を通した[[天然資源]]の流通の環境的な分析を含んだ''定常状態''({{lang-en-short|steady-state}})のデイリーの概念として、彼の概念は''定常状態''({{lang-en-short|stationary state}})の元来の古典派の概念とは違っている。一つの他の違いは、すべての資源利用における永久の政府の制約を課することで定常状態の経済を創設するような直接の政治的行動をデイリーは勧める。これに反して古典期の経済学者らは、どのような経済の終局の定常の状態もいかなる政府の干渉なしにそれ自身で展開されることを信じた。<ref>{{sfnpharvnb|Blaug|1958}}{{rp|, p. 135f}}</ref><ref>{{sfnpharvnb|Daly|Farley|2011|page}}, p. =55f}}</ref>
 
世界の[[エコロジカル・フットプリント|環境問題の増加]]は定常経済の概念における広い関心を引き起こしている。定常経済の批判者たちは通常それを次のようなことをもって反対理由として挙げる:
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[[File:The Earth seen from Apollo 17.jpg|thumb|upright|他の任意な[[惑星]]と同様に、[[地球]]は有限である。]]
世界の数多くの環境問題は定常経済の概念での興味を刺激した。1990年代以降、多くの調査は、[[世界経済]]の分量が、既に[[経済成長]]の危機的でグローバルな限界をはるかに超えている事の証拠を与えた。{{sfnp|Meadows|et al.|2004}}[[エコロジカル・フットプリント|環境負荷計測]]によれば、地球の{{日本語版にない記事リンク|(環境)負荷容量|en|sustainability#carrying capacity}}―それは、地球の人間の人口と消費水準を維持するような長期の容量である―は1995年には30%程度超えていた。2018年には、この様子は70パーセント程度に上昇している。{{sfnp|GFN|2018}}{{sfnp|Watts|2018}}結果として、人類は私たちの時代に惑星的な{{仮リンク|過多 (人口)|en|Overshoot (population)|label =過多―と―崩壊}}に直面している。地球の生態系における人間の活動の顕著な影響は何人かの地質学者をして現代の''[[世]]'' を{{日本語版にない記事リンク|人間中心世|en|anthropocene|label =''人間中心世'' }}と提案するよう動機づけた。{{sfnp|CSIRO|et al.|2012}}以下の諸問題は世界中で多く起きている。
* [[定常経済 #人口過多|人口過多]]
 
* [[定常経済 #汚染とグローバルな温暖化|汚染とグローバルな温暖化]]
* [[定常経済 #非-再生鉱物の枯渇|非-再生鉱物の枯渇]]
* [[定常経済 #再生資源の正味の枯渇|再生資源の正味の枯渇]]
* [[定常経済 #生物多様性の損失|生物多様性の損失]]
これらの数多くの問題は研究者やその他の著作家が[[経済成長]]の限界を指摘し、疑問するような件数の増加を促した―そして反対さえも―無限の経済成長の優勢な[[イデオロギー|観念形態]]に対して。{{sfnp|Meadows|et al.|2004}}{{sfnp|Diamond|2005}}{{sfnp|Heinberg|2007}}{{sfnp|Latouche|2009}}{{sfnp|Greer|2008}}{{sfnp|Ehrlich|Ehrlich|2009}}
 
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* 国家経済の衰退
* 成長なき資本主義を得る可能性
* [[定常経済 #宇宙空間の中何らかの地球の限界を押し出すこと|宇宙空間へ地球の限界を幾らか押し出す可能性]]
これらの問題についてのハーマン・デイリーのアブローチはそのテキストの中で提示されている。
 
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[[技術]]は財の生産やその他の社会的達成での科学的方法の応用として通常定義される。歴史的には、[[労働生産性の改善]]ならびに[[生活水準]]の向上のためにおおいに開発して実施されてきた。経済学では、天然資源におけるその依存を考える場合に、技術の役割への関心での相違が現在存在する。
* [[新古典派経済学]]では、一方で、「技術」の役割は、[[土地]]や[[労働力]]や[[資本]]の寄与のような、[[経済成長]]へ寄与する[[生産要素]]として、今までのところは別に通常表される。しかしながら、生産財の出力である、新古典派の[[生産関数]]では、生産過程への天然資源の寄与が考慮されない、生産要素によって供給される入力に関係する。したがって、分離され、完全独立の装置であって、前もっていかなる天然資源を受けることなしに生産に寄与しやすいものとして「技術」は具体的に考えられる。
[[File:2012 09 03 Brückenfahrstand Voraus DSCI73357.JPG|thumb|right|技術は通常その運用のために燃料や電気のもとで開発される。]]
* {{日本語版にない記事リンク|生態経済学|en|ecological economics}}では、一方、「技術」は、生産過程における天然資源が転換される方法として表される。<ref>{{harvnb|Perez-Carmona|2013}}, p.121f</ref>この技術の表現はその分野における標準的な[[主流派経済学]]の教科書でもまた優勢である。<ref>{{harvnb|McConnell|et al.|2009}}, p. 508f</ref><ref>{{harvnb|Cooper|John|2011}}, pp. 813-816</ref><ref>{{harvnb|Taylor|et al.|2014}}, p.409f</ref>そうなので、経済における技術の役割は、技術そのものを支えるのに必要な天然資源の流通の計算へ取り上げることなしに正しく概念化できない:[[内燃機関]]は[[燃料]]で動く;{{日本語版にない記事リンク|電動機|en|machinery|label =モーター}}と電気媒体({{lang-en-short|electric devices}})は[[電気]]で動く;すべての[[資本]]は始めから原料資源をもって創られる、物理的に言えば、すべての技術は、―それが便利であっても―{{日本語版にない記事リンク|世界全体|en|world as a whole}}のエントロピー―または無秩序の―増大につれて、有価値な[[天然資源]]から、もしかすると無価値の[[廃棄物]]や[[汚染]]のようになるかもしれないところの原料財への、転換についての媒体として大きく作用する。<ref>{{harvnb|Daly|1991}}</ref>経済における技術の役割のこの見方は「{{日本語版にない記事リンク|悲観論 #エントロピー悲観論|en|Pesimism #entropy pesimism|label =エントロピー悲観論}}」と呼ばれてきた。<ref>{{harvnb|Ayres|2007}}, p.p. 115-128</ref>
 
生態学の観点から、新古典主義経済学とその他の[[技術的楽観主義]]を始めない、幾つかの基礎的な[[物理学]]の教えの、ことに要約される不同意のことを指摘されてきた。<ref>{{harvnb|Martinez-Alier|1987}}</ref><ref>{{harvnb|Schmitz|2007}}</ref><ref>{{harvnb|Bardi|2001}}</ref><ref>{{harvnb|Perez-Carmona|2013}}</ref>新古典的な見地から、主導的な[[経済成長理論]]家で[[ノーベル賞受賞者]]の[[ロバート・ソロー]]は、産業化された諸因での経済成長を「基礎物理学」それ自体によって妨げるものではないことを1997年に応答することで、彼のおおいに批判された立場を弁護した。<ref>{{harvnb|Daly|2006}}</ref>
 
=== 宇宙空間の中に何らかの地球の限界を押し出すこと ===
{{main |小惑星の鉱業}}
{{see also |{{日本語版にない記事リンク|人口過多 #地球外定住|en|Human overpopulation #Extraterrestrial settlement}} |{{日本語版にない記事リンク|宇宙移民 #理由|en|Space colonization #Reasons}} |{{日本語版にない記事リンク|宇宙での製造|en|Space manufacturing}}}}
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1950年代での現代的な{{日本語版にない記事リンク|宇宙時代|en|Space age}}の始まり以来ずっと、{{日本語版にない記事リンク|宇宙関連擁護団体|en|Space advocacy}}は、<ref>もし、他に理由が無いとして</ref>地球上の[[人口過多]]を反撃して環境的圧力を和らげるために、[[宇宙移民]]のための計画を開発した。
 
[[Image:Space Colony 1Spacecolony1.jpg|thumb|right|宇宙空間での[[オニール・シリンダー|特別な設計の円筒体]]に植民する移住者をオニールは募集した。]]
1970年代に、物理学者で宇宙活動家の[[ジェラード・K・オニール]]は、政治的な抑制へ頼ることなしに、地球上の人口過多と成長の限界の問題を解決するような{{日本語版にない記事リンク|ジェラード・K・オニール #宇宙植民地化|en|Gerard K. O'Neill #Space colonization|label =外空間での人類の植民地を建設する}}巨大な計画を開発した。オニールの見通しによると、人類はできる―そして本当に「成すべき」―現状の世界の人口を何倍もこの人工の新天地において拡張して、宇宙での膨大な新しい富を創り出すことを。ハーマン・デイリーは、宇宙植民地がより成長の限界に対して厳しい代物になるだろうことを主張することで、オニールの見通しに反対した、―そしてしたがって、より手入れと訓練をもって安全と管理をすべきになるだろう―広大で回復力に富む地球での定常経済よりも。しかしながら、それにもかかわらず特定の植民地が極めて限定される、何人にもおける居住条件での、数多くの個人的な植民地は多分終わりなく増えても良いだろう。したがって、デイリーは結論づけた:「地球での定常状態の申し立てられた不可能性は、ひとつの知的に貧弱な打ち上げ発射台を宇宙植民地に与えた。」<ref>{{harvnb|Daly|1980}}, p.369</ref>
 
==脚注または引用文献==