「零式艦上戦闘機」の版間の差分

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[[ファイル:A6M3 Model32-common.jpg|thumb|練習航空隊の零戦三二型 (A6M3)]]
[[ファイル:A6M5 52c Kyushu.jpg|thumb|出撃準備中の零戦五二型丙 (A6M5c)]]
零戦の性能向上が不十分だった原因として、発動機換装による馬力向上の失敗がある。雷電・紫電の穴埋めとして零戦の武装・防弾の強化及び高速化を図った五三型 (A6M6) の開発を開始、水メタノール噴射装置(混合液を気化器周辺へ噴射し冷却を行い酸素濃度を高める仕組み)追加によって出力向上を図った[[栄 (エンジン)|栄三一型]](離昇1,300馬力を予定)の搭載が予定されており、武装・防弾を強化しても最高速度を580 [[キロメートル毎時|km/h]]台までの向上が可能と試算されていた。栄三一型の開発は比較的順調に進み、五三型試作一号機を用いて実用審査が行われていた。しかし、[[1944年]](昭和19年)秋頃に多発した零戦のプロペラ飛散事故の原因が栄二一型の減速遊星歯車の強度不足であることが判明し、対策を必要とする零戦(五二型系列約300機)の改修に海軍の栄三一型審査担当者が追われ、栄三一型の審査は一時中断された。そしてこの時に始まったフィリピン戦に対応するため、審査未了で生産できない栄三一型の代わり栄二一型が零戦に装備されることになったものの、審査と平行して生産されていた栄三一型用の調整は困難かつ実効がほとんど認められず、性能低下の一因ともなる水メタノール噴射装置は倉庫で埃を被ることになった(同時期に陸軍の栄三一型審査担当者は審査完了しており、水メタノール噴射装置の可能性を実感した結果、これを改良した栄三二型(離昇1,300馬力)を搭載した一式戦闘機三型を[[1944年]](昭和19年)7月から量産開始した)。この結果、大量生産された零戦五二型丙 (A6M5c) は栄二一型(離昇1,130馬力)装備のまま武装・防弾のみを強化したため正規全備重量が3,000[[キログラム|kg]]近く増加し、急降下性能の向上は見られたが、零戦の持ち味であった運動性能・上昇力の低下した機体が量産されるに至った。この混乱が治まった後に栄三一型の審査は再開されたものの、既に審査終了が[[1945年]](昭和20年)の初頭になっていた。その後、零戦六二型(A6M7)には栄三一型甲/乙(離昇1,210馬力)、これと併行して零戦六三型(A6M7)には栄三一型(離昇1,300馬力を予定)を[[1945年]](昭和20年)2月から量産開始させたが、その大多数は水メタノール噴射装置を廃した栄三一型甲/乙を搭載した零戦六二型(A6M7)で、一部は保管され審査完了待ち状態だった栄三一型を零戦六三型(A6M7)装備した。2機種を競合させて零戦六二型(A6M7)の生産を優先させた理由は、水メタノール噴射装置自体の重量が約100[[キログラム|kg]]と70lの水メタノールタンクで合わせて約170[[キログラム|kg]]以上の重量があったため、零戦の運動性能が損なわれると判断されたからである。水メタノール噴射装置の不具合とそれによって引き起こされる稼働率の低下も問題になったと考えられる。運動性能を重視して稼働率の高い零戦六二型(A6M7)か、速度性能を重視して稼働率の低い零戦六三型(A6M7)を競合させた結果、前者の方を量産するに至った。
 
零戦に栄より大馬力を期待できる[[金星 (エンジン)|金星]]を装備するという案は、十二試艦戦の装備発動機選定以降も繰り返し浮かび上がっている。まず、零戦二一型の性能向上型であるA6M3の装備発動機を検討する際に栄二一型と共に金星五〇型が候補として挙がったが、最終的には栄二一型を採用、次に[[1943年]](昭和18年)秋に中島飛行機での[[誉 (エンジン)|誉]]増産に伴って栄の減産が計画されたため、零戦にも金星六〇型への発動機換装が検討されたが、航続距離の低下とより高速重武装の雷電二一型 (J2M3) の生産開始が近く、中止になっている。[[1945年]](昭和20年)、中島飛行機において誉のさらなる増産に伴い、中島での栄は生産中止となり、再び零戦の金星六二型への発動機換装が計画された。零戦五四型 (A6M8) 発動機換装型は、艦上爆撃機[[彗星 (航空機)|彗星]]三三型のプロペラとプロペラスピナーを流用した間に合わせ的な機体だが、発動機換装により正規全備で3,100kgを超える機体に零戦各型で最速となる572.3 km/hの速度と五二型甲 (A6M5a) 並みの上昇力となったが航続距離は大幅低下、局地戦闘機的な性格が強い機体となる。性能向上型としては成功したように思える五四型だが、試作一号機が[[1945年]](昭和20年)4月に完成する数ヶ月前に、金星を生産する三菱の発動機工場が[[B-29 (航空機)|B-29]]の爆撃によって壊滅、結局試作機2機が完成したに過ぎず、零戦は最後まで栄を搭載せざるを得なかった。