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'''マクロ経済学'''(マクロけいざいがく、{{lang-en-short|macroeconomics}})は、[[経済学]]の一種で、個別の経済活動を集計した一国経済全体を扱うものである。'''巨視経済学'''あるいは'''巨視的経済学'''とも訳される。
 
マクロ経済変数の決定と変動に注目し、[[国民所得]]・[[失業率]]・[[通貨膨張インフレーション]]・[[投資]]・[[貿易]]収支などの集計量がある。またマクロ経済分析の対象となる[[市場]]は、[[生産物]]([[財]]・[[サービス]])市場、[[貨幣]]([[資本]]・[[債券]])市場、[[労働]]市場に分けられる。対語は、経済を構成する個々の主体を問題にする[[ミクロ経済学]]。
 
なお、マクロ経済とミクロ経済との二分法を最初に考案したのは、ノルウェーの経済学者[[ラグナル・フリッシュ]]。「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」の用語をはじめて用いたのは、オランダの経済学者[[ウルフ]]<ref>ステイグリッツ(1999)「入門経済学」東洋経済{{要ページ番号|date=2013年12月}}</ref>。マクロ経済学の誕生は、1936年の[[ジョン・メイナード・ケインズ]]([[ケインズ経済学]])の著書『[[雇用・利子および貨幣の一般理論]]』に始まる<ref>岩田規久男 『経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1994年、171頁。</ref>。
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さらにニュー・ケインジアンは近年では新しい古典派が用いてきた最適成長モデルや[[リアルビジネスサイクル理論]]を出発点に、それらにいくつかの仮定を追加することでケインズ経済学にミクロ的な基礎を与えようと試みつつある。リアル・ビジネス・サイクル・モデルを原型とした諸々のモデルを[[動学的確率的一般均衡]]([[:en:Dynamic stochastic general equilibrium|Dynamic Stochastic General Equilibrium]], DSGE)モデルとも言うが、新しい古典派とニュー・ケインジアンは動学的確率的一般均衡モデルを用いるという点でも共通している。
 
さらに新しい古典派の側でも従来のワルラス的な[[完全競争]]市場の仮定を緩める動きが見られる。彼らの中にはモデルを構築する際に[[外部性]]や不完全情報、さらには[[規模の経済]]や[[独占的競争]]を取り入れる者もいるのだ。その典型が[[内生的成長理論]]である。このように新しい古典派とニュー・ケインジアンは非常に似通った理論構築を行っている。このような動向は、短期の景気循環や長期の経済成長などマクロ経済現象を統一的に分析する枠組フレームワークを構築する方向へ向かうものと評価されている。
 
ただ、こうしたミクロ的基礎を強調する新しいマクロ経済学に対しては、<!--確かにこうした事態を以って古典派とケインジアンという二分法が全くその意味を失ったと断ずるのはやや性急かもしれない。伝統的なケインズ経済学の手法を擁護する経済学者、ないしは-->セイの法則を受容する古典派とこれと対立するケインジアンという古典的な二分法をケインズから受け継いだ[[ポスト・ケインジアン]]と呼ばれる学派の人々からは、鋭い批判が寄せられている<!--からだ-->。しかし、数の上でも主流派である新しい古典派とニュー・ケインジアンがミクロ的な前提条件の受容において接近している<!--ことは非常に重要である。かつての学派同士の[[イデオロギー]]的な対立を乗り越え、-->状況の下では、古典派とケインジアンという二分法は、少なくとも近年のマクロ経済学の動向を捉える上では、以前ほどの意味は持たないと評価されている。<!--、二派の対立に囚われてしまうと近年のマクロ経済学の動向を見誤ってしまう可能性もある。-->同様に現在用いられているマクロ経済学のモデルのほとんどはミクロ経済学的な基礎を持っており、ミクロ経済学とマクロ経済学を方法論の上で厳格に区分することは困難となってきている。