「小坂慶助」の版間の差分

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小坂は特高警察に勤務したわけではなく、特高担当の憲兵として勤務していたので記述を変更/首相発見の経緯を加筆修正
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== 経歴 ==
=== 前史 ===
1900年東京出身。1920年に騎兵15連隊に入営する<ref>『革命の前夜』199頁(日本週報社、1964年)</ref>。1922年に[[憲兵 (日本軍)|憲兵]]となり、翌1923年より[[特別高等警察|特高]]担当として勤務する。そこでは[[甘粕事件]]、[[虎ノ門事件]]、[[濱口雄幸#濱口首相遭難事件|濱口首相遭難事件]]などに関わり特に[[相沢事件]]などに関わでは事件直後の[[相沢三郎]]の身柄確保と取り調べを行った<ref name="tokko">[http://www.hmv.co.jp/artist_%E5%B0%8F%E5%9D%82%E6%85%B6%E5%8A%A9_000000000597498/item_%E7%89%B9%E9%AB%98%E3%80%80%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E7%A7%98%E5%8F%B2-%E6%96%87%E6%98%A5%E5%AD%A6%E8%97%9D%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC_6207796 『特高 二・二六事件秘史』著者紹介]2019年2月28日 閲覧</ref>。
 
=== 二・二六事件 ===
1936年の二・二六事件発生時部下検分のために首相官邸へ入っていた篠田惣壽憲兵上等兵が岡田首相が生存していることを発見した{{refnest|group=注釈|反乱部隊は岡田首相と誤認して首相の妹婿であった[[松尾伝蔵]]秘書官を殺害していたが、篠田上等兵は[[観兵式|閲兵式]]で岡田首相を直接見ていたため首相本人だと分かった。}}。当時麹町憲兵分隊の特高主任であった小坂は、の報告を受けて首相秘書官であった福田耕や[[迫水久常]]らと協力し、部下である青柳利之憲兵軍曹及び小倉倉一憲兵伍長らと策を練り、翌27日に岡田と同年輩の弔問客を官邸に多数入れ、反乱部隊将兵の監視の下、弔問客に変装させた岡田を退出者に交えてみごと官邸から脱出させた<ref name="yomiuri">「岡田前首相の奇跡的脱出 女中部屋の押入へ ほか」讀賣新聞(1936年3月22日・号外)</ref>。
 
3月11日に[[岩佐禄郎]]憲兵司令官より、岡田首相を救出した功績により青柳軍曹、小倉伍長とともに表彰を受ける<ref name="asahi">「前首相救出の3憲兵表彰さる きょう御楯神社鎮座式に」朝日新聞(1936年3月11日・東京版夕刊)</ref>。しかし、小坂の著書によれば当時の憲兵将校の中には[[皇道派]]に同調する者も多く、小坂が首相を救出したと知ると[[梶川頼照|梶川与惣兵衛]]{{refnest|group=注釈|梶川与惣兵衛は江戸時代の旗本で、浅野内匠頭の殿中刀傷事件の際に浅野を取り押さえた人物である。}}になぞらえて正面切って非難されることや、褒賞面で冷遇された{{refnest|group=注釈|当時、逃亡兵の逮捕や川に落ちた子供を救助するなど憲兵に功績があった場合、憲兵隊の機関紙である「憲友」への掲載と金一封の授与が行われていたが、小坂らに対しては「憲友」の掲載も行われず派閥に属さなかった中立の岩佐司令官の賞状のみだった<ref name="tokko2" />。}}と回顧している<ref name="tokko2">『特高』66‐68頁(啓友社、1953年)</ref>。