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'''眞含院'''(しんがんいん、[[享保]]18年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]([[1733年]][[6月12日]]) - [[文化 (元号)|文化]]5年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]([[1808年]][[4月2日]]))は、[[福岡藩]]主[[黒田継高]]の継嗣・[[黒田重政]]の正室。眞含院は[[落飾]]後の院号で、実名は'''菊姫'''、'''菊子'''。子に男児(夭折)、娘(夭折)、[[黒田治之]]の正室となった娘・屋世がいる。
 
== 生涯 ==
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眞含院は生まれた男児を亡くさなければ、黒田本家の血統を途絶えさせることはなかったと、男児を死なせたことを悔やんだといわれる。
 
継高は[[一橋徳川家]]から養子・[[黒田治之|治之]]を迎えるにあたり、眞含院と重政の娘・屋世を養女に迎えて、屋世を治之に娶らせた。しかし、屋世も11歳で死去した。当然子供もいないため、如水、長政以来の血統は男系女系とも断絶したが、眞含院は姑の継高正室[[圭光院]]と仲が良く福岡藩黒田家の永続のために尽力している。
 
晩年は夫・重政と娘・屋世の菩提を弔う日々を送った。
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[[Category:江戸時代の女性]]
[[Category:薩摩島津家]]
[[Category:福岡黒田]]
[[Category:福岡藩の人物]]
[[Category:1733年生]]