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{{出典の明記|date=2019年3月3日 (日) 07:52 (UTC)|ソートキー=人1760年没}}
'''井上 正辰'''(いのうえ まさとき、[[元文]]元年([[1736年]])- [[宝暦]]10年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]([[1760年]][[7月9日]]))は、[[江戸時代]]中期の大名。[[常陸国]][[下妻藩]]の第3代藩主。正室は[[太田資晴]]の娘。子は[[井上正意]](長男)。官位は[[従五位]]下、[[遠江国|遠江]]守。
 
== 生涯 ==
[[美濃国]][[郡上藩]]主・[[金森頼錦]]の次男。初名は'''金森頼真'''。宝暦3年([[1753年]])、先代藩主の[[井上正敦|正敦]]の死去により、その養嗣子となって跡を継いだ。同年12月に叙任する。宝暦9年([[1759年]])7月、農民による愁訴事件が起こり、それが幕府にも知られて治世不良のために出仕を拒まれた。それが失意となったのか、翌年5月27日に25歳の若さで死去し、跡を長男の正意が継いだ。法号は義応院殿勧学日了大居士。墓所は[[東京都]][[台東区]]の[[谷中霊園]]にある。