「レオニド・アンドレーエフ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m編集の要約なし
6行目:
 
==外国での紹介・評価==
日本では[[1906年]]に『旅行』を[[上田敏]]が翻訳したのを皮切りに、[[1908年]]に[[二葉亭四迷]]が『血笑記』を翻訳、[[1909年]]になって、[[昇曙夢]]などの翻訳家・ロシア文学者たちの手により、多くの作品が翻訳された。日本滞在中の[[中華民国|中国]]の文学者[[魯迅]]も翻訳小説集『域外小説集』に三篇のアンドレーエフの小説を収録した。[[夏目漱石]]も[[小宮豊隆]]と独訳本でアンドレーエフの小説の購読を行い{{Efn|小宮の紹介により英訳本で読んだという説もある<ref>{{Cite book|和書|author=大岡昇平|year=1974|title=富永太郎|publisher=中央公論社|pages=P.46}}</ref>。}}、小説『[[それから]]』で主人公にアンドレーエフの『七刑人』を読書する場面を描いた<ref>[[#藤井|藤井(1985)]]</ref>。日本文学とくに[[大正]]期の文学にあたえた影響は大きく、[[志賀直哉]]作品にも影響をあたえたといわれる<ref>[[#下斗米島田|下斗米&島田(2002)p.259]]</ref>。
 
==作品==
40行目:
*『悪魔の日記』小平武訳 20世紀のロシア小説 [[白水社]] 1972
 
== ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Notelist}}
 
== 脚注 ==
<references />