「冬戦争」の版間の差分

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赤軍→ソ連軍
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| casualties2=戦死・行方不明 126,875<br />戦傷 264,908<br />捕虜 5,600<br />航空機 1,000以上<br />戦車 2,268
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[[Image:Winter-War-Overview.png|right|250px|thumb|フィンランドの国境線全体から侵攻する[[ソ連軍]]の図]]
'''冬戦争'''(ふゆせんそう、[[フィンランド語|芬]]:talvisota)は、[[第二次世界大戦]]の勃発から3ヶ月目にあたる[[1939年]][[11月30日]]に、[[ソビエト連邦]]が[[フィンランド]]に侵攻した[[戦争]]である。フィンランドはこの[[侵略]]に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、[[独立]]を守った。
 
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== 戦争の推移 ==
=== 1939年 ===
1939年[[11月26日]]午後、カレリア地峡付近のソ連領マイニラ村でソ連軍将兵13名が死傷する砲撃事件が発生したとソ連側から発表された。この事件は[[マイニラ砲撃事件]]([[:en:Shelling of Mainila]])と呼ばれており、ソ連はこの砲撃をフィンランド側からの挑発であると強く抗議した。この事件は実際には、ソ連が自軍に向けて故意に砲撃したのをフィンランド軍の仕業にして非難し、この攻撃を国境紛争の発端に偽装したものであり、このことは近年明らかになったソ連時代の機密文書によっても裏付けられている。しかしソ連は、[[11月27日]]にソ芬不可侵条約の破棄を通告。[[11月29日]]に国交断絶が発表された。
 
[[11月30日]]、ソ連は宣戦布告なしに{{要出典範囲|date=2018-05|23個師団45万名の将兵、火砲1,880門、戦車2,385輌、航空機670機}}を以って、フィンランド国境全域で侵攻した。ソ連空軍は、国境地帯の他、ヘルシンキ、ヴィープリなど数都市を空爆した。ソ連は、白衛軍の流れを汲むフィンランド現政権に対する人民蜂起を期待していたので、空爆には、爆弾のほかに武装蜂起を促すフィンランド語のパンフレットが大量にばらまかれた。
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フィンランド軍の武器、弾薬、装備は極度に不足していた。開戦時、基礎訓練を修了した兵士にだけ[[軍服]]と武器が支給され、残りの者は、自前で武器を調達し軍服を製作しなければならなかった。これらの自作の軍服に対しては、当時のフィンランド政府の首相[[アイモ・カヤンデル]]にちなんで、「カヤンデル・モデル」という愛称がつけられた。またソ連軍から[[鹵獲]]した装備、武器、弾薬が積極的に再利用された。フィンランド独立後に[[小銃]]の[[口径]]を変更しなかったため、ソ連の弾薬がそのまま使えるということも幸いした。
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ソ連はレニングラード軍管区の4個軍を作戦に投入。第7軍はカレリア地峡の国境要塞線を突破して首都ヘルシンキを目指し第8軍は、ラドガ湖北岸から西進しカレリア地峡の背後への進出を計った。第9軍はフィンランドを南北に分断するため[[スオムッサルミの戦い|スオムッサルミ]]の攻略を目指し第14軍は[[ラップランド]]へと進撃した。[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム|マンネルヘイム]]は第9師団にソ連軍第9軍への反撃を命じ第16連隊を主力とする独立作戦集団を編成、タルヴェラ大佐に指揮を任せラドガ湖北岸を進撃中のソ連軍第8軍に反撃を命じた。ソ連軍第7軍の第49師団はカレリア地峡マンネルヘイム線のタイパレ要塞線の突破を試みたが、フィンランド第10師団の反撃により攻撃は失敗し甚大な被害を受けた。ラドガ・カレリア方面では[[トルヴァヤルヴィの戦い|トルヴァヤルヴィ]]に進出したソ連軍第8軍の第139師団がタルヴェラ作戦集団に包囲され1000名以上の犠牲者を出し敗走した。そこで第8軍はコッラー河を渡河して守りの手薄なロイモラへ4個師団+1個旅団の大戦力を投入し突破作戦を開始した。しかし[[コッラの戦い|コッラ]]防衛陣地を守るフィンランド軍第12師団の猛反撃により攻勢は足止めされ第8軍は進撃停止を余儀なくされた。ラーテ街道([[ラーッテ林道の戦い|ラッテ林道]])を進撃中だったソ連軍第9軍の第163師団はフィンランド軍第9師団に包囲され孤立した。こうしてソ連軍の攻勢は全戦線でくいとめられ一部の部隊は分断され包囲殲滅の危機にさらされていた。戦果をあせったレニングラード軍管区司令官メレツコフは12月16日マンネルヘイム線への総攻撃を再開。ソ連軍第7軍が[[スンマの戦い|スンマ]]要塞線への攻撃を開始したがフィンランド軍の守りは固く甚大な損害をうけ総攻撃は失敗に終わった。その後も第7軍はマンネルヘイム線への総攻撃を繰り返したがことごとく撃退され損害のみが増え続けた。一方ソ連軍第9軍は包囲された第163師団を救援するため第44機械化師団を派遣した。第44機械化師団はラーテ街道で雪に進軍を阻まれ立ち往生している最中に第9師団の奇襲を受けて壊滅、完全に孤立した第163師団も殲滅され12月9日から開始された[[スオムッサルミの戦い]]はフィンランド軍の完全勝利に終わった。ソ連軍第9軍の損害は戦死・行方不明者2万4000人に達し壊滅的敗北を喫した。スターリンは、すべての攻勢作戦の中止を命令した。
 
=== 1940年===