「景山民夫」の版間の差分

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== エピソード ==
*生まれて初めて映画を見たのは5歳の頃。神田日活で、[[ボブ・ホープ]]の『[[腰抜け二挺拳銃]]』であった<ref name="happyend">『ハッピーエンドじゃなけりゃ意味がない』の年譜より</ref>。
*身長が185センチもあったのは<ref>ただし『普通の生活』p.177(朝日新聞社、1984年)では「僕の身長は184センチだ」と書いている。</ref>、大正生まれの父親が176センチと当時としては大柄であり、かつ母親も比較的大きかったため。身長のためか中学、高校と[[バスケットボール]]をやっていたが進学校ということもあり、スポーツへの情熱はさほどなかった<ref name="happyend" />。
*中1の終わりに[[小児リューマチ]]にかかり入院し、1週間意識がなく、高熱が4週間も続いた。注射をどんどん打たれたためホルモンの異常をきたし、入院時に38キロ足らずしかなかった体重がわずか2ヶ月で73キロになった。病院を抜け出して[[蔵前国技館]]へ行き花道で相撲を見ていたら、やにわに後ろの人が肩をたたき、次に腰をたたいた。振り返ってみると、それは初代の[[若乃花幹士 (初代)|若乃花]]であった。仕事熱心な親方は、相撲にふさわしい体かどうかを触って確かめたのであった。もちろん、体重は病気が全快すると風船がしぼむようにもとの体重に戻ってしまった<ref name="happyend" />。
*この大病の時に[[臨死体験]]をする。「僕は病気をして、これこれの体験をして、こういうものを見ました。だから、もう死ぬことが怖くなくなりました」と当時の作文に書いた<ref name="happyend" />。