「ゲリラ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
タグ: 2017年版ソースエディター
16行目:
 
== 語源 ==
[[ファイルFile:6-de-junio-1808.jpg|thumb|300pxright|250px|スペイン独立戦争で、[[フランス軍]]による侵略に抵抗する[[スペイン]]のゲリラを描いた[[絵画]]]]
[[File:Afrikaner Commandos2.JPG|thumb|leftright|200px250px|[[ボーア戦争#第二次ボーア戦争|第二次ボーア戦争]]におけるゲリラ]]
[[File:Kovpak partisanki.jpg|thumb|right|250px|[[ナチス・ドイツ]]支配下の[[ウクライナ]]で活動する[[赤軍パルチザン]]]]
[[1808年]]からの[[スペイン独立戦争]]で[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]軍に抗して蜂起した[[スペイン軍]]や[[スペイン人]]民衆の採った作戦を、ゲリーリャ(guerrilla、guerra「[[戦争]]」+縮小辞-illaで「小さな戦争」を意味する[[スペイン語]]の単語)と呼んだのが、ゲリラの[[語源]]である。ただし、[[戦術]]としてのゲリラ戦は、この語が生まれる以前の[[古代]]から存在していた。
 
47行目:
第二次大戦後、[[脱植民地化]]時代に入った[[アジア]]と[[アフリカ]]の[[植民地]]や[[開発途上国|低開発国]]では、[[社会主義]]の思想的影響の下で独立運動や反[[帝国主義]]闘争が盛んになった。中国では、日中戦争中から[[日本軍]]に対するゲリラ戦を優位に進め、[[第二次国共内戦]]に勝利した毛沢東の[[中国共産党]]が[[1949年]]に[[中華人民共和国]]を建国し、社会主義圏([[東側諸国]])に加盟した。その中で、[[宗主国]]を相手に[[独立戦争]]を開始する人々も現れた。独立戦争のほとんどはゲリラ戦の形をとり、中でも[[アルジェリア戦争|アルジェリア独立戦争]]、[[第一次インドシナ戦争]]、[[ベトナム戦争]]では、[[フランツ・ファノン]]や[[ホー・チ・ミン]]と[[ヴォー・グエン・ザップ]]を理論的指導者としたゲリラ戦が重要な役割を担った。
 
[[ファイルFile:GuerrilleroHeroico.jpg|thumb|200pxright|left250px|『ゲリラ戦争』の著者、チェ・ゲバラ。[[アルベルト・コルダ]]の撮影したこの写真のタイトルは、「[[英雄的ゲリラ]]」である]]
独立後、主としてアジアで、[[毛沢東主義]]の思想的影響を受けて社会主義革命を目指すゲリラが興ったが、大半が失敗し、中国の影響下にはない[[キューバ]]の[[フィデル・カストロ]]と[[チェ・ゲバラ]]の反独裁ゲリラが成功をおさめた。その後、[[ラテンアメリカ]]では[[キューバ革命]]の影響をうけて[[親米]][[独裁政権]]・[[軍事政権]]に反対するゲリラが起こされるが、後に世界各国のゲリラの教本にもなった『[[ゲリラ戦争]]』でゲバラ主義が標榜した、社会主義革命のために都市のプロレタリアによる蜂起ではなく、農村ゲリラ戦術を主要路線とするゲリラ闘争は、[[1967年]]10月にゲバラ自身が[[ボリビア]]で戦死したことにより重大な挫折を来した。その後ラテンアメリカにおける革命運動は、[[1968年]]の[[ペルー]]における[[フアン・ベラスコ・アルバラード]]将軍の社会主義を標榜した[[クーデター]]や、[[1970年]]の[[チリ]]における[[サルバドール・アジェンデ]]の[[平和革命]]など、[[1973年]][[9月11日]]にチリ革命が[[チリ・クーデター]]によって終焉するまで、ゲリラ闘争以外で社会主義を達成しようとする動きに移行したが、チリ・クーデター後には[[国際通貨基金|IMF]]や[[世界銀行]]による構造調整を受け入れた軍事政権に対して再びゲリラ戦争が開始された。この種のゲリラ闘争は[[1979年]]の[[ニカラグア]]での[[サンディニスタ革命]]など成功するものもあったものの、[[グアテマラ内戦]]の諸勢力や[[コロンビア革命軍]]、[[センデロ・ルミノソ]]のように多くは敗北するか、長引く[[内戦]]ですべての当事者が疲弊し、さらに冷戦が終結するとかつてゲリラ側が掲げていた社会主義の大義は大きく歪み、[[1990年代]]になるとその一部は[[麻薬]]取引に資金源を見出すようになった。
 
54行目:
また、同時期の世界的な脱植民地化の潮流の中でも、[[西ヨーロッパ]]最貧国であり[[新植民地主義]]を行うほどの実力を持たなかった[[ポルトガル]]は植民地を手放さなかったため、ポルトガル領アフリカでは[[アミルカル・カブラル]]や[[アゴスティニョ・ネト]]、[[エドゥアルド・モンドラーネ]]、[[サモラ・マシェル]]に指導された独立を目指すゲリラ部隊と[[ポルトガルの軍事|ポルトガル軍]]の戦いが続いた([[ポルトガルの植民地戦争]])。
 
[[File:My Tho, Vietnam. A Viet Cong base camp being. In the foreground is Private First Class Raymond Rumpa, St Paul, Minnesota - NARA - 530621 edit.jpg|thumb|300pxright|250px|ベトナム戦争の最中に炎上したベトコンの拠点([[1968年]][[4月5日]])]]
アジアとアフリカには、国内[[少数民族]]による独立要求が多くある。その一部もゲリラ戦の形で戦争を行っている。ただし、[[アルメニア]]に支援された[[ナゴルノ・カラバフ]]軍のように、経済的・政治的余裕があれば、ゲリラ戦よりも正規戦に堪える正規軍を編成する事の方が多い。[[南ベトナム解放民族戦線]](いわゆるベトコン)にしても、ベトナム戦争後期(とくに[[テト攻勢]]以後)にはソ連・中国・[[ベトナム民主共和国|北ベトナム]]の強力かつ弾力的な支援によって正規戦に堪えうる装備と部隊を獲得していたとする説もある。逆に[[ヒズボラ]]のように意図的に正規軍指向を持たず、あくまでも装備と兵力をゲリラ戦主体に留める組織もある。ただし、同組織は[[イラン]]から強力な支援を得ており、[[シリア]]が事実上の[[補給]]拠点となっている。