「赤尾清綱」の版間の差分

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赤尾曲輪を設けて在番し、赤尾美作守として著名となった。
 
[[天正]]元年([[1573年]])、[[織田氏]]との戦いに敗れ捕虜となり、[[小谷城の戦い]]信長の目前にて切腹した<ref>『[[信長公記]]』巻六。</ref>。享年60歳
 
赤尾屋敷で[[浅井長政]]とその弟の[[浅井政元]]と共に自害した<ref>[[#ビジュアル解説 切腹で読む日本史 漢の美学、ここにあり]]p.33 綜合図書</ref>とする説もある。
赤尾屋敷と[[浅井長政]]が最期まで運命を共にした。
 
なお、嫡子・虎千代(後の[[赤尾清冬]])の命は、清綱のそれまでの働きと忠義に免じて[[織田信長]]直々に助命したといわれている。