「マックボンボン」の版間の差分

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'''マックボンボン'''は、志村健(現:[[志村けん]])が[[ザ・ドリフターズ]]の[[付き人]]時代に一時独立して、同じ付き人同士で組んでいた[[お笑いコンビ]]である<ref>[http://bunshun.jp/articles/-/8306?page=2 高木ブー85歳 今だから語る「長さんは僕にだけ、愚痴をこぼした」 文春オンライン2018/7/29</ref>。[[渡辺プロダクション]]所属。経緯は後述するが、コンビの状態からネタを考えていた志村がリーダーということになる
 
== 歴史 ==
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1972年10月には早くも初のレギュラーにして初司会、そしてコンビ名の付いた「冠番組」である『[[ぎんぎら!ボンボン!]]』(『[[シャボン玉ホリデー]]』の後番組で、後に『[[シャボン玉ボンボン]]』にリニューアルされる)への出演が決まる。師匠の[[いかりや長介]]は、ネタのストックも無いままテレビに出演することに難色を示し反対する。そのいかりやの不安は的中し、知名度の低さとワンパターンなネタがすぐに飽きられ、視聴率不振により番組は1[[クール (放送)|クール]](3か月)で打ち切りとなった。その失敗により、ショックを受けた当時の相方である井山が失踪し、連絡が取れなくなった渡辺プロダクションは井山を契約解除とし、ドリフの付き人からも除名した。
 
このため志村は、ドリフの付き人の一人であった福田正夫を次の相方として選び、新生「マックボンボン」を出発させる。しかし、元[[自衛隊]]員の福田は元々お笑い芸人志向ではなく、常々「お笑いじゃなくてもやっていける」と公言し、練習に身を入れることもなかった。

結局コンビは自然消滅となり、福田は芸能界を引退。志村は再びドリフの付き人に戻った。
{{main2|志村のその後|志村けん}}
なお、コンビのネタは、志村が全部考えており、志村がウンウン考えている横で相方福田は新聞の求人広告を見ていたといい、ドリフメンバの[[仲本工事]]は当時のことを振り返って「志村はやる気があったから、付き人やりながら自分でコンビ組んで、営業の仕事もしてたんです。本当に一生懸命でしたね。」と語っている<ref>[http://bunshun.jp/articles/-/10193?page=2 77歳仲本工事が語る“ドリフ秘話”「加藤は天才、志村は秀才」の理由] 文春オンライン2019/1/5</ref>。
 
なお、コンビのネタは、志村が全部考えており、志村がウンウン考えている横で相方は新聞の求人広告を見ていたといい、ドリフターズの[[仲本工事]]は当時のことを振り返って「志村はやる気があったから、付き人やりながら自分でコンビ組んで、営業の仕事もしてたんです。本当に一生懸命でしたね。」と語っている<ref>[http://bunshun.jp/articles/-/10193?page=2 77歳仲本工事が語る“ドリフ秘話”「加藤は天才、志村は秀才」の理由] 文春オンライン2019/1/5</ref>。
 
== メンバー ==
全員ドリフの付き人だった。
 
* 志村健(現:[[志村けん]])
* [[井山淳]]
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{{ザ・ドリフターズ}}
{{志村けん}}
 
{{DEFAULTSORT:まつくほんほん}}
[[Category:日本のお笑いコンビ]]