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{{基礎情報 テーマパーク
|名称=大川寺遊園
|画像=Daisenji-yuen.jpg
[[ファイル:Daisenji-yuen.jpg|サムネイル|画像説明=営業末期の大川寺遊園(1996年(平成8年))]]
|愛称=
|前身=
|テーマ=
|キャッチコピー=
|事業主体=[[富山地方鉄道]]・[[大山町]]
|管理運営=大川寺遊園
|面積=
|来園者数=
|開園=[[1958年]]([[昭和]]33年)9月6日
|開園予定=
|閉園=
|所在地郵便番号=
|所在地=[[富山県]][[上新川郡]][[大山町 (富山県)|大山町]]
| 緯度度 = 36 | 緯度分 = 36 | 緯度秒 = 24.723
| 経度度 = 137 |経度分 = 18 | 経度秒 = 32.7481
|公式サイト=
}}
 
'''大川寺遊園'''(だいせんじゆうえん)は、かつて[[富山県]][[上新川郡]][[大山町 (富山県)|大山町]](現[[富山市]])にあった大川寺遊園株式会社が経営していた[[遊園地]]である。
 
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=== 入場者数の逓減による閉園 ===
[[ファイル:Daisenji-yuen.jpg|サムネイル|営業末期の大川寺遊園(1996年(平成8年))]]
しかし、[[1982年]](昭和57年)4月に[[ミラージュランド]]<ref>魚津市教育委員会編、『魚津市史 続巻 現代編』(564頁)、2012年(平成24年)3月、魚津市</ref>、[[1983年]](昭和58年)7月に[[太閤山ランド|県民公園太閤山ランド]]<ref>富山県編、『富山県史 年表』(415頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県</ref>、[[1984年]](昭和59年)4月に[[富山市ファミリーパーク]]が開園するなど<ref>富山県編、『富山県史 年表』(417頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県</ref>、県内各所において大型娯楽施設が開業したことに加え、[[東京ディズニーランド]]等の県外大型テーマパークへの志向の高まりと共に、大川寺遊園の入場者数は徐々に減少していった<ref name=":10">富山地方鉄道編、 『富山地方鉄道70年史 この20年のあゆみ』(64頁) 、2000年(平成12年)9月、富山地方鉄道</ref>。[[1992年]](平成4年)に1億8千万円を以て導入したファンタジーコースターも入場者の減少に歯止めをかけることはできず<ref name=":19">「にぎわい面影なく 花見もGWもひっそり 大川寺遊園閉園から1カ月余」、『北日本新聞』(23面)、1997年(平成9年)5月4日、北日本新聞社</ref>、[[1995年]](平成7年)度の入場者数は約8万4千人にまで落ち込んだ<ref name=":9" />。大川寺遊園の累積赤字は3億6千万円にまで膨れ上がり、[[1996年]](平成8年)2月の富山地方鉄道の取締役会においてこの経営上の問題が提起され、同園の存廃問題は一挙に表面化することとなった<ref name=":9" /><ref>「大川寺遊園 廃園の危機 20日めどに最終決断 大山町に地鉄申し入れ 類似施設のオープン響く」、『富山新聞』(27面)、1996年(平成8年)3月12日、富山新聞社</ref>。今後も入場者数の増加は見込めず、遊具等の老朽化に伴う修繕費が増加している状況に鑑み、富山地方鉄道はこれ以上大川寺遊園の経営を継続することは困難であると断じ<ref name=":10" />、1996年(平成8年)5月31日に大山町へ同園の経営からの撤退を申し入れた<ref name=":9" />。大山町は大川寺遊園の活用策を模索したものの<ref>「大川寺遊園 自然公園で再生検討 大山町 調査委託費を計上」、『北日本新聞』(26面)、1996年(平成8年)12月5日、北日本新聞社</ref>、結局町単独において経営を行うことは難しいとの判断から1996年(平成8年)度内における閉園を決断した<ref>「大川寺遊園 年度末の廃園決まる 大山町「単独経営は困難」」、『北日本新聞』(24面)、1997年(平成9年)2月27日、北日本新聞社</ref>。こうして[[1997年]](平成9年)3月31日を以て大川寺遊園株式会社は解散し、大川寺遊園は閉園された<ref name=":22">富山地方鉄道編、 『富山地方鉄道70年史 この20年のあゆみ』(64及び102頁) 、2000年(平成12年)9月、富山地方鉄道</ref>。