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=== 築城 ===
築城計画の際、現在地の福山ではなく、地形的に要害となりうる[[函館市|箱館]]の臥牛山([[函館山]])に築城するべきという意見もあったが、
[[長沼流]]兵学者・[[市川一学]]の縄張りにより旧福山館の拡張・改築を行い、この時に初めて3重の[[天守]]を上げ、[[1854年]]([[安政]]元年)に竣工し、この頃から'''松前城'''と呼ばれるようになったと伝わる。海側からの艦砲射撃に備えて砲台を備え、かつ城壁の中に鉄板を仕込んでおり、城の本丸方の虎口から本丸までの通路は複雑かつ側面から鉄砲などで射撃しやすい構造とした。天守や櫓、門の屋根には、寒さで凍み割れやすい粘土瓦のかわりに銅板を葺いた。
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