「ヨハン1世 (スウェーデン王)」の版間の差分
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'''ヨハン・スヴェルケルソン''' (
== 生い立ちと即位 ==
ヨハン・スヴェルケルソンは、[[スヴェルケル家]]のスウェーデン王[[スヴェルケル2世 (スウェーデン王)|スヴェルケル2世]]と[[フォルクング家]]の[[インゲヤルド]](ビルイェル・ブロサ娘)の息子である。スヴェルケル2世は1208年のレーナの戦いで敗れ、1210年の[[イェスティールレンの戦い]]で敗死した。これにより、彼と争っていた[[エリク家]]のエリク・クヌートソンが[[エリク10世 (スウェーデン王)|エリク10世]]として即位した。
== 即位と治世 ==
1216年にエリク10世が急死すると、スウェーデン貴族は[[教皇]]の意向に反して15歳のヨハンを擁立した。彼は1219年に'''ヨハン1世'''として戴冠した。彼の治世の間に、ヨハン1世の従兄のカール・ドーヴ(聾のカール)と聖職者カール・マグヌソンが[[エストニア]]の[[レーネ県|レーネ]]に遠征したが、[[1220年]][[リフラの戦い]]で両者とも戦死し、その後300年にわたりスウェーデンの勢力はエストニアから駆逐されることとなった。この遠征については[[リヴォニアのヘンリーの年代記]]や[[リヴォニアの押韻年代記]]に記されている。
ヨハン1世は1222年に死去した。子が無かったために、再びエリク家のエリク・エーリクソンが6歳
== 参考文献 ==
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