「藤田航空」の版間の差分

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== 歴史 ==
戦前、日本の航空機メーカーであった[[立川飛行機]]のテストパイロットであった[[青木春男]]が不定期航空事業の認可を受け、'''青木航空'''として[[1952年]][[4月]]26日に設立され、9月から[[セスナ 170]]で運航を開始した<ref name="koukuushi" />。[[ANAホールディングス|全日空]]に連なる企業としては傍系かつ小規模ではあるが、青木航空が最も早く設立および運航を開始している。
 
その後、資本金の増資に伴い'''日本遊覧航空'''([[1956年]][[6月]])そして'''藤田航空'''([[1961年]]6月)と社名を変更された。おもに[[伊豆諸島]]を中心に運航していた<ref name="hachijo">{{PDFlink|[http://www.town.hachijo.tokyo.jp/toukei-siryou/pdf/hachijo2016.pdf 八丈島空港の沿革 ]}} - 東京都八丈町勢要覧2017本編 8ページ </ref>。また[[全日本空輸|全日空]]から羽田〜[[八丈島]]などの路線を移管され、定期航空路を運航していた。しかしながら、営業状態は芳しくなく[[1963年]]に航空事業から撤退することになった。そして[[11月1日]]付けで全日空へ吸収合併された<ref name="hachijo" /><ref>11月1日 全日空、藤田航空と合併 - 日本航空史編纂委員会編纂 財団法人日本航空協会刊『日本航空史(昭和戦後編)』民間輸送編</ref>。
 
== 事故 ==
{{Main|藤田航空機八丈富士墜落事故}}
営業停止直前の1963年8月17日、[[デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド]] [[デ・ハビランド DH.114 ヘロン|ヘロン]]([[機体記号]]:JA6155)が八丈島離陸直後、八丈富士山腹に墜落する事故が発生。この事故で乗員乗客19人が犠牲になった。当時、事故機のヘロンJA6155は東亜航空へ貸与中だが、[[フォッカー F27 | フォッカー F27 フレンドシップ]]が定期点検中で、団体輸送のため藤田航空へ帰籍し臨時便として運航されていた。なお事故原因は確定されていないがエンジントラブル説が有力である。
 
== 使用機材(回転翼機除く) ==
*[[デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド]] [[デ・ハビランド DH.104 ダブ|ダブ]]
*[[デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド]] [[デ・ハビランド DH.114 ヘロン|ヘロン]]
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflistReflist}}
 
== 関連項目 ==
*[[立川飛行機]]
*[[全日本空輸|全日空]]
*[[東海汽船]]
 
 
{{ANAグループ}}
 
{{airline-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:ふしたこうくう}}
[[Category:かつて存在した日本の航空会社]]