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== 歴史 ==
[[File:Edward Montagu.jpeg|thumb|left|初代サンドウィッチ伯[[エドワード・モンタギュー (初代サンドウィッチ伯爵)|エドワード・モンタギュー]](サー・[[ピーター・レリー]]画、[[1666年]])]]
初代伯[[エドワード・モンタギュー (初代サンドウィッチ伯爵)|エドワード・モンタギュー]]<small>(1625年-1672年)</small>は、
当初彼は陸軍の歩兵士官であったが、[[清教徒革命]]の際に[[円頂党|議会派]]に属したことから第一次[[英蘭戦争]]では海軍の新設称号であるジェネラル・アット・シー(General at Sea)<ref group=Note>革命の際、議会派に積極的に加わった提督が殆ど居らず、イングランド共和国では海軍を指揮する人材が不足したため、議会派の大佐クラスの陸軍軍人をジェネラル・アット・シーに任命し、艦隊の指揮をさせた。この制度は王政復古後も暫く続いた。</ref>として[[イングランド共和国]]艦隊を指揮した。[[イングランド王政復古|王政復古]]の際は地方に隠遁していたが、先任のジェネラル・アット・シーであった[[スコットランド王国|スコットランド]]駐留軍司令官の[[ジョージ・マンク (初代アルベマール公)|ジョージ・マンク]]に従って王党派に転じ、艦隊を率いて[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]を出迎えた。その功により{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=665}}、[[1660年]][[7月12日]]にイングランド貴族爵位'''サンドウィッチ伯爵'''<small>(Earl of Sandwich)</small>、'''ヒンチンブルック子爵'''<small>({{lang|en|Viscount Hinchingbrooke}})</small>、'''ハンティンドン州におけるセント・ニーアッツのモンタギュー男爵'''<small>({{lang|en|Baron Montagu, of [[:en:St Neots|St Neots]] in the County of Huntingdon}})</small>に叙せられた<ref name="CP ES"/><ref name="thepeerage1"/>。その後、第二次英蘭戦争でも艦隊を率いたが、公費乱用の疑惑から議会の圧力で転任させられた。第三次英蘭戦争では再び艦隊の指揮を執ったが、[[ソールベイの海戦]]に於いて戦死した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=665}}。
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