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舜天 (会話 | 投稿記録)
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{{出典の明記|date=2014年3月1日 (土) 01:05 (UTC)|ソートキー=沖縄ちゆうさんせいかん}}
{{混同|中山世譜}}
『'''中山世鑑'''』(ちゅうざんせいかん)は、薩摩支配下において書かれた[[琉球国]]の初めての[[正史]]である。[[羽地朝秀]]が王命により編纂。[[1650年]]成立。全6巻。和文体で書かれている。和暦の採用や、[[源為朝]](鎮西八郎)が琉球に逃れ、その子が琉球王家の始祖[[舜天]]になったとする(『[[琉球神道記]]』、『[[保元物語]]』、『[[平治物語]]』などを参考にしたと見られる)記述がある。為朝が琉球へ逃れ、その子が舜天になった事の真偽は不明だが、正史として扱われており、この話がのちに[[曲亭馬琴]]の『[[椿説弓張月]]』を産んだ。この話に基づき、[[大正]]11年には為朝上陸の碑が建てられた。表側に「上陸の碑」と刻まれて、その左斜め下にはこの碑を建てることに尽力した[[東郷平八郎]]の名が刻まれている。また、鎌倉幕府が建てた京都・建仁寺の文献にも
 
「源為朝が琉球に渡り建国の主となる」と書かれている。