「ロアール・アムンセン」の版間の差分

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彼は[[バフィン湾]]・[[ランカスター海峡]]・[[ジェイムズロス海峡]]・[[レイ海峡]]と、東から西へ向かう航路を選んだ。[[キングウィリアム島]]と[[ブーシア半島]]の間の[[レイ海峡]]([[:en:Rae Strait|Rae Strait]])は新しい氷が多く比較的航行可能で、この選択が成功のもとになった。ただし水深がわずか1mと非常に浅い部分があり、ヨーア号だから航行できたものの、それより大型になる商船の通過は不可能な航路であった。
 
キングウィリアム島近く(現在の[[ヌナブト準州]]グジョア・ヘイヴン Gjoa Haven)で2回越冬したアムンセンは[[イヌイット]]から、[[イヌぞり|犬ぞり]]の使い方や獣皮の着方など寒帯で生き残る術を学び、これが後の南極などの探検に生きた。1905年夏に越冬地を発して[[ビクトリア島]]の南を航海し[[1905年]][[8月17日]]にカナダ[[北極諸島]]を抜け[[ボフォート海]]へ出ることに成功したが、アラスカ沖で流氷に閉ざされ3度目の冬を越すことになる。彼は氷の上を800km歩いてアラスカ州イーグルに向かい、北西航路横断の電報を打って船に帰った。次の夏、氷を脱出したヨーア号はベーリング海峡を通過し、アラスカ太平洋岸の[[ノーム (アラスカ州)|ノーム]]に入港した。こうしてアムンセンは史上はじめて北西航路の横断航海に成功した。
 
[[イギリス]]の[[王立地理学会]]は、[[1907年]]に、北西航路横断と磁北極地域の探険の業績に対し、アムンセンに[[金メダル (王立地理学会)|金メダル]]を授与した<ref>{{Cite web|url=http://www.rgs.org/NR/rdonlyres/C5962519-882A-4C67-803D-0037308C756D/0/GoldMedallists18322011.pdf|format=PDF|title=Medals and Awards, Gold Medal Recipients|publisher=Royal Geographical Society|accessdate=2014年4月10日}}</ref>。