「谷繁元信」の版間の差分

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[[全国高等学校野球選手権大会]]に2度出場。特に1988年夏の[[第70回全国高等学校野球選手権大会|第70回全国選手権]]には[[全国高等学校野球選手権島根大会|島根大会]]で、5試合全ての試合で計7[[本塁打]]を放ち、甲子園大会でもベスト8に進出。高校通算で42本塁打を放ち、強打の捕手として[[江藤智 (野球)|江藤智]]とともに「東の江藤、西の谷繁」と呼ばれた。
 
[[1988年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1988年度ドラフト会議]]で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]から1位指名されを受け、契約金5800万円、年俸480万円(金額は推定)で入団<ref>『朝日新聞』1988年12月10日付朝刊 (14版、23面)</ref>。大洋は期待を込めて、チームの看板選手で、前年に引退した[[山下大輔]]が付けていた背番号'''1'''を与えた。地元の[[広島東洋カープ]]からも熱心に誘われていたが、カープのドラフト1位指名は[[野村謙二郎]]であった<ref name="sponichi20130507"/>。
 
=== 大洋・横浜時代 ===