「桜花 (航空機)」の版間の差分

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第七ニ一海軍航空隊の[[戦闘詳報]]には「神雷攻撃の戦機の得ざりしこと並びに直掩戦闘機の出動率僅少なりしことが、この作戦を不成功ならしめたる原因にして、次回作戦に対し大いに研究の余地あり」「第一回神雷攻撃を敢行し、桜花機の使用の限界を判明とし、その後の作戦に資する所、極めて大なり」と記されていた<ref name="世界113">内藤初穂「太平洋戦争における旧海軍の「戦闘詳報」」『世界の艦船 No.512』1996年7月号 113頁</ref>出撃を強行した宇垣中将は陣中日記[[戦藻録]]に「其の内援護戦闘機の一部帰着し悲痛なる報告を致せり。即1420頃敵艦隊との推定距離5、60浬に於いて敵グラマン約50機の邀撃を受け空戦、撃墜数機なりしも我も離散し陸攻は桜花を捨て僅々10数分にて全滅の悲運に會せりと。嗚呼」と記している<ref>宇垣纏『戦藻録 後編』日本出版協同 P.197</ref>。
 
一方でアメリカ軍は多数のF6Fが被弾したが、撃墜されたのはホーネット隊VBF17のクリスチン中尉を含む2機のみであった<ref>加藤浩『神雷部隊始末記』P.214</ref>{{#tag:ref|出撃命令がなかったレーダー搭載型一式陸攻の電探員がBBCの短波放送を無断で聞いたところによれば、米側損害は7機だったという<ref>文藝春秋 編『人間爆弾と呼ばれて 証言・桜花特攻』(文藝春秋、2005年)137頁</ref>。|group="注釈"}}。一方的な勝利であった為、マリアナ沖海戦同様にこの空戦も「七面鳥狩り」と呼ばれた。ちなみにアメリカ軍の戦果記録は一式陸攻26機撃墜、零戦12機撃墜、[[雷電 (航空機)|雷電]]2機撃墜、零戦2機撃破、[[三式戦]]1機撃破と過大なものであったが、大規模な空戦では日米互いに過大な戦果報告は茶飯事であった<ref name="sugawara_245">菅原完『知られざる太平洋戦争秘話』P.245</ref>。桜花の情報は既にアメリカ側は察知しており、アメリカ軍内部の広報誌「Intelligence Bulletin」31号で通知されていた。その為ホーネット隊VBF17の戦闘詳報では「この日遭遇したベティ(一式陸攻のコードネーム)は翼幅15フィートの小さな翼を付けた魚雷の様な爆弾を搭載していた。これは「Intelligence Bulletin」に掲載されていた日本の空飛ぶ爆弾と思われるが、この爆弾はひとつとして発射される事も投棄されることもなかった」とあるが、一方ベローウッドのVF30は「Intelligence Bulletin」を見てなかったのか桜花の存在を知らず「ベティはGizmo(奇妙な物)を搭載していた。(中略)それは尾翼のない[[V1飛行爆弾]]の様だった。我が戦闘機より銃撃され炎上した全てのベティはGizmoを投下したが、それは30°の角度で滑空降下していった。これらは多くの場合に滑空降下中に煙を出したがジェット推進という確証はなかった。本空母と航空隊は日本軍がこのような兵器の使用を試みたという報告を受け取ったことはない。」と報告している。アメリカ軍はこの時点では桜花が有人であるとは認識しておらず、全容が解明されるのは沖縄戦で桜花が無傷で鹵獲されてからであった<ref>加藤浩『神雷部隊始末記』P.215</ref>。
 
湯野川守正(桜花要員)によれば、桜花の悲報を受けても隊員たちの士気は旺盛だった、編成当初は悩みもあったが、張りきって立派にやっていた、最善を尽くして死ぬのは本望で淡々と順番を待ち生き死にを深刻に考えず人に後ろ指をさされないように、一人でも多くの敵をやっつけると考えていたという<ref name="kodachi_220_224"/>。