「北京兵変」の版間の差分

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== 経過と結果 ==
[[ファイル:The Legation Street, Peking.jpg|サムネイル|東交民巷の六国飯店(右)。左のドーム付きの建物は[[横浜正金銀行]]北京支店]]
1912年[[2月15日]]、南京の臨時参議院は袁世凱を第2代臨時大総統に選出した<ref>中国語版の北京兵変では2月25日としている。</ref>。17日、臨時参議会で[[蔡元培]]を特使に[[宋教仁]]と[[汪兆銘]]を専員として北京に派遣し、袁世凱を南京に迎え就任するようにした。29日の夕方6時、北京で兵乱が発生した。京奉と京漢の鉄道局、大清、交通、直隷の3銀行と造幣廠が略奪に遭い、4千軒以上の商店が略奪にあった、特使の滞在場所も略奪にあった。蔡元培らは東交民巷<ref>東交民巷はもとの名称が東江米巷で、北京市の[[東城区]]の[[胡同]]である。西は[[天安門広場]]東路から東は[[崇文門]]内大街までで、全長1,552mと北京市で最長の胡同である。</ref>の六国飯店に避難した。
各国の駐華公使は[[北京議定書|辛丑条約]]に基づき、次々と公使館の安全確保のため軍隊を集め北京に入れた。兵変は[[保定]]および[[天津]]地区にまで広がった。