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| 名前 = ハルク・ホーガン
| 画像 = Hulk hogan 2014.jpg
| 画像サイズ = 270px250px
| 画像説明 = 2014年のハルク・ホーガン撮影
| リングネーム = '''ハルク・ホーガン'''<br />ハリウッド・ハルク・ホーガン<br />ハリウッド・ホーガン<br />ミスター・アメリカ<br />テリー "ザ・ハルク" ボールダー<br />スターリング・ゴールデン<br />ハルク・マシーン<br />スーパー・デストロイヤー
| 本名 = テリー・ジーン・ボレア
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同時期、[[テレビドラマ]]『[[ハルク (マーベル・コミック)|超人ハルク]]』主演の[[ルー・フェリグノ]]と同じカメラに収まる機会があり、トップ・ボディビルダーのフェリグノより巨大な肉体が評判となる<ref name="hulk 51">[[#hulk|『ハリウッド・ハルク・ホーガン』]]、P51。</ref>。これを機に、超人ハルクにあやかり'''ザ・ハルク'''(''The Hulk'')をニックネームに用いるようになった<ref name="hulk 51"/>。一時はプロレス界を離れ港湾労働者に転じていたこともあったが<ref>[[#hulk|『ハリウッド・ハルク・ホーガン』]]、P54。</ref>、[[テリー・ファンク]]や[[ジャック・ブリスコ]]、[[ジェリー・ブリスコ]]らの勧めで復帰を果たし、[[WWE|WWF]]入りのきっかけをつかむ<ref>[[#hulk|『ハリウッド・ハルク・ホーガン』]]、P57-59。</ref>。
 
=== WWF時代初期 ===
[[1979年]]12月、WWF(現・[[WWE]])に初登場、[[ビンス・マクマホン・シニア]]の提案で'''ハルク・ホーガン'''(''Hulk Hogan'')とリングネームを改め<ref>[[#hulk|『ハリウッド・ハルク・ホーガン』]]、P66。</ref>、[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]におけるデビュー戦で[[テッド・デビアス]]に勝利を収める<ref name="wwe-1979">{{cite web|url=http://www.thehistoryofwwe.com/79.htm|title=WWE Yearly Results 1979|accessdate=2012-04-30|publisher=The History of WWE}}</ref>。以後、[[フレッド・ブラッシー]]を[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]に迎え、[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]の巨体に対抗できる超大型の[[ヒール (プロレス)|ヒール]]としてトップ戦線で活躍。[[ゴリラ・モンスーン]]、[[ティト・サンタナ]]、[[ドミニク・デヌーチ]]、[[レネ・グレイ]]、[[ジョニー・ロッズ]]、[[カルロス・ホセ・エストラーダ|ホセ・エストラーダ]]、[[イワン・プトスキー]]、[[パット・パターソン]]らを相手にデビュー戦から20数連勝という戦績を残したことから「'''マディソン・スクエア・ガーデンの奇跡'''」と評され、その名を全米に知らしめた。
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[[1981年]]からはアメリカでの主戦場を[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]に移し、本国アメリカでもベビーフェイスとして大ブレイクを果たす。しかし、AWA世界王者[[ニック・ボックウィンクル]]を相手に何度となく「幻の勝利」を挙げたにもかかわらず、AWAの主宰者だった[[バーン・ガニア]]は他のスポーツの実績もなく、単純なパワーファイターのホーガンの商品価値を過小評価し[[AWA世界ヘビー級王座]]を与えなかった。
 
世界王座戴冠は果たせなかったものの、同じく[[スーパースター・ビリー・グラハム]]に憧れた[[ジェシー・ベンチュラ]]との抗争や、超巨漢選手[[ジェリー・ブラックウェル]]とのボディスラム・マッチなどでも人気を博す<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=39&bild=1&details=7&liga=16&jahr=1981|title=The AWA matches fought by Hulk Hogan in 1981|accessdate=2014-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。また、WWFや新日本プロレスでの旧敵である[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]ともタッグを組み、悪党マネージャーの[[ボビー・ヒーナン]]率いるファミリー(ボックウィンクル、[[ケン・パテラ]]、[[ボビー・ダンカン]]、[[アドリアン・アドニス]]、[[マサ斎藤|ミスター・サイトー]]など)と軍団抗争を展開した<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=39&bild=1&details=7&liga=16&jahr=1982|title=The AWA matches fought by Hulk Hogan in 1982|accessdate=2014-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref><ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=39&bild=1&details=7&liga=16&jahr=1983|title=The AWA matches fought by Hulk Hogan in 1983|accessdate=2014-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。
 
同時期、ホーガンの知名度を更に向上させたのが、[[1982年]]公開のアメリカ映画『[[ロッキー3]]』への出演である<ref>[[#hulk|『ハリウッド・ハルク・ホーガン』]]、P99。</ref>。ホーガンはプロボクサーのロッキー([[シルヴェスター・スタローン]])と戦う敵役のプロレスラー「'''サンダーリップス'''(''Thunderlips'')」としてプロレス界以外でもネームバリューを高めた(本人によれば、1980年のWWF離脱の理由は[[ビンス・マクマホン・シニア]]がこの出演を認めなかったからだという)<ref name="hogandesse"/><ref>[[#hulk|『ハリウッド・ハルク・ホーガン』]]、P88-89。</ref>。
 
=== WWF時代 ===
[[1983年]]12月、シニアの後継者となる[[ビンス・マクマホン|ビンス・マクマホン・ジュニア]]にWWF全米進出計画のエースとして白羽の矢を立てられ、日本滞在中にWWFと専属契約を交わす(AWAのバーン・ガニアはこの突然の引き抜き事件に激怒したという)。[[1984年]]1月23日、MSGにおいて[[コシロ・バジリ|アイアン・シーク]]を下し[[WWE・世界王座|WWF世界ヘビー級王座]]初戴冠。2月10日には[[NWA (プロレス)|NWA]]の総本山だった[[セントルイス]]の[[キール・オーディトリアム]]にて、[[ビル・イーディー|マスクド・スーパースター]]を相手に初防衛に成功。以降、同年より開始された全米侵攻サーキットにおいて、[[ポール・オーンドーフ]]、[[ビッグ・ジョン・スタッド]]、[[デビッド・シュルツ]]、[[ロディ・パイパー]]、[[ボブ・オートン・ジュニア|カウボーイ・ボブ・オートン]]ら強豪との防衛戦が各地で行われた<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=39&bild=1&details=7&liga=3&jahr=1984|title=The WWE matches fought by Hulk Hogan in 1984|accessdate=2014-09-12|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。
 
[[シンディ・ローパー]]らと共に[[MTV]]に出演するようになると、その圧倒的なカリスマ性と単純だが分かり易い試合でプロレスファン以外の層にまで人気が爆発していった。[[1985年]]3月31日に[[レッスルマニア]]の[[レッスルマニア (1985)|第1回大会]]が開催されて以降は社会現象と呼べるほどの国民的人気を獲得した。このレッスルマニアという名称自体「レッスル」とハルクファンの「'''ハルカマニア'''(''Hulkamania'')」を足したホーガンのための大会だった。以降も[[カマラ (プロレスラー)|カマラ]]や[[キングコング・バンディ]]などの巨漢ヒールから元NWA世界王者の[[テリー・ファンク]]や[[ハーリー・レイス]]までを挑戦者に迎えてタイトルを防衛。人気絶頂期に行われた[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]との対決([[1987年]]3月29日、[[レッスルマニアIII]])では9万3173人という観客動員数を記録している。その後もWWF世界王者として活躍し、[[ベビーフェイス (プロレス)#フェイスターン|フェイスターン]]した旧敵のパイパー、オーンドーフ、[[ドン・ムラコ]]らとタッグを組むこともあった。
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=== WCW時代 ===
連続テレビドラマを制作・主演していた[[1994年]]、同じ[[ディズニー・ワールド]]内でTVマッチを収録していた[[WCW]]と契約した。WWF時代と同じく[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]のポジションで活動し、PPV興行の切り札として[[リック・フレアー]]との[[WCW世界ヘビー級王座]]戦も行われたが、WWFを凌駕するほどの起爆剤とはならず、ホーガン本人も新たなキャラクターを求めた。[[1996年]]7月、[[ヒール (プロレス)|ヒール]]に電撃転向し、同じくWWFから移籍してきた[[ケビン・ナッシュ]]や[[スコット・ホール]]と共に'''[[ニュー・ワールド・オーダー|nWo]]'''を結成、コスチュームのテーマカラーもレッド&イエローから黒ずくめに一新し、'''ハリウッド・ハルク・ホーガン'''(''Hollywood Hulk Hogan'')を名乗った。詳しくは「[[マンデー・ナイト・ウォーズ]]」を参照
 
{{Main|マンデー・ナイト・ウォーズ}}
 
これによってホーガンは選手としてのキャリアのリセットにも成功し、またnWoの大ヒットでWCWはWWFの人気を上回るようになっていく。ヒールサイドの主役として活躍し、WCW世界ヘビー級王座も何度となく獲得。[[1998年]]には[[ビル・ゴールドバーグ]]との超人対決が実現した。nWo解散後は他のベテラン選手たちとともにミリオネアーズ・クラブなるユニットを結成したりもしたが、家族と過ごす時間が欲しいとの理由から[[2001年]]のWCW崩壊を前に離脱した。
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=== WWE復帰 ===
[[ファイルFile:Hulk Hogan3.jpg|thumb|250px|right|2004年8月、リングインした際のパフォーマンス(2004年8月)]]
[[2002年]]2月、ビンス・マクマホンの刺客nWoの一員としてヒールに戻りWWF(=WWE)に復帰する。[[レッスルマニアX8|WrestleMania X8]]で8年ぶりのレッスルマニア再登場を果たし当時の主役[[ドウェイン・ジョンソン|ザ・ロック]]との頂上決戦が実現。WWE側は「悪の枢軸」nWo軍総帥ホーガンを絶対的ベビーフェイスのロックが迎え撃つというアングルを構成したものの、入場シーンからホーガンへの爆発的声援一色となり、ロックの方がブーイングを浴びる結果となった。この試合は「ICONvsICON」という試合タイトルに相応しい重厚な名勝負となり、ホーガンのハルクアップ・3パンチ・ビッグブーツ・レッグドロップというフィニッシュ・ムーヴをロックがキックアウトしたシーンは大歓声を浴びた。最後はロックが[[ロック・ボトム]]2連発から[[ピープルズ・エルボー]]でフォール勝ちを収めた。試合後はロックに握手を求め、翌日からベビーフェイスに戻った。
 
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; [[WCW]]
* [[WCW世界ヘビー級王座]]:5回
 
== その他 ==
[[ファイル:Hulk Hogan.jpg|250px|right|]]
* 20代前半から髪が薄く、当初バンダナは「ハゲ隠し」だったが、次第にそれがファッションとなっていった。
* 日本とアメリカでファイトスタイルを巧みに使い分けている。特に日本で試合をする際は意識的にグラウンドや密着技を多用し、腕ひしぎ逆十字固めなども使用し独特の入り方をみせる。これは、ホーガンが新日本の常連外国人だったころの名残であると思われている。この器用さがホーガンをトップスターにした要因の1つだと言われている。初来日の頃はまだまだ荒削りであったが、新日本プロレスで揉まれるうちにレスリング技術や試合運びが良くなったという<ref name="hogandesse">『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p84-85</ref>。
* ホーガンと行動を共にしていたレスラーの[[ブルータス・ビーフケーキ]]はホーガンの弟とされていたが実際は血縁関係はなく、少年時代からの幼馴染である(ルーキー時代に兄弟タッグとして活動していたため、この誤解が生じたと考えられる。また、ビーフケーキが「エド・レスリー」の名で新日本プロレスに初来日した際には、会場売りのパンフレットに掲載されたプロフィールにも「ハルク・ホーガンの弟」という記載があった)。
* 現役のプロレスラーの多くがホーガンのファンであるらしいが、見た目重視のスタイルから[[レスリング]]の技術をセールスポイントにするプロレスラーの中には、ジレンマを感じる者も少なくないらしい。特に全盛期のライバル、[[ランディ・サベージ]]と[[ポール・オーンドーフ]]のホーガン嫌いは有名である。
* [[1986年]]、WWFで日本からの輸入の形で活躍していた[[若松市政#マシーン軍団|マシーン軍団]](ジャイアント・マシーン=[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]、スーパー・マシーン=[[ビル・イーディー|マスクド・スーパースター]]、ビッグ・マシーン=[[ブラックジャック・マリガン]]、パイパー・マシーン=[[ロディ・パイパー]]、クラッシャー・マシーン=[[クラッシャー・リソワスキー]])に加入し、ハルク・マシーンとしてMSG定期戦に出場したことがある。なお、名前段階から正体はバレバレだが、入場の際、被ってきたマスクの上に「ハルカマニア」の赤いバンダナを巻いてきたり、ハルクアップを披露するなど、バカバカしさを追求しており、後のミスター・アメリカ・ギミックの際、「あの時と一緒」と見たマニアも存在した。
* [[1990年]]末から[[1992年]]にかけては[[日立製作所|日立]]の[[エア・コンディショナー|エアコン]]「[[ビッグフロー]]」「[[白くまくん]]」のCMに登場し、一週間の歌を歌ったり「ホソナガおじさん」として登場、[[横綱土俵入り#雲龍型の土俵入り|雲龍型の土俵入り]]を真似たパフォーマンスを行ったり「'''ホーソーナガー!'''」と絶叫するなどした。ホソナガおじさんについては、後半のCMではCMソングも作られている。
* [[エレクトリックベース]]のテクニックもなかなかの物だという。
* [[アラン・ファンク]]がハルクの容姿・ファイトスタイルを真似た[[オマージュレスラー]]だが、ハルクと比べかなり小柄である。
* [[アナボリックステロイド|ステロイド]]剤の使用を認めている<ref>『USAスポーツ狂騒曲 アメリカは今日もステロイドを打つ』 序章 [[町山智浩]] ISBN 9784087805161</ref>。
* [[2012年]]、プライベートでの[[性交|セックス]]シーンがインターネット上に流出するというスキャンダルに見舞われる。性交相手の女性とその元夫でホーガンとも交友関係にあった男が共謀し盗撮、ゴシップサイトに売り渡し、ゴシップサイトが流出させたとされる。ホーガンは2人とゴシップサイトに対して1億ドル(約79億円)の損害賠償を求める訴訟を起こした。
* TNAやWCWで進行に深く関わって自身を常にストーリーラインの中心に置きたがり、親族や友人を縁故出演させるなど公私を混同した行動をとり、強力なトップダウン式の権力構造を持つWWEではたびたび起用法を巡ってビンスと衝突して離脱と復帰を繰り返すといった多くのスターレスラーの例に漏れずエゴイスティックな面もたびたび指摘されている。
* スタン・ハンセンが新日本のトップとして君臨していた時はギャラはハンセンの方が新日本の選手の中で一番であったが、それから1年半した頃、新間寿はホーガンのギャラをハンセンと同じにした。そのことを新間がハンセンに伝えると、ハンセンは「オマエはフェアだ。よくそれを俺に教えてくれた。ありがとう」と感謝の言葉を述べた。ハンセンがホーガンを認めていたことを表すエピソードである<ref name="hogandesse"/>。
 
=== ハルク・ホーガンをモデルとした架空の人物とキャラクター ===
* 「[[キン肉マン]]」の登場人物の[[ネプチューンマン]]のモデルの一人である。いずれもホーガンがモデルとなった読者投稿キャラ「イチバンマスク」と「ハルクマシーン」が合成され、ネプチューンマンとなった。
* 1984年から1989年まで月刊『[[コミックボンボン]]』([[講談社]])にてホーガンをモデルにした[[ギャグ漫画]]、『[[やっぱ!アホーガンよ]]』(作・画:[[柴山みのる]])が連載されていた。当初はプロレスをモチーフにしていたが、後にお下劣ギャグ漫画に方向転換した。
* [[田中久志|ひすゎし]]の原作マンガ『[[CAN☆キャンえぶりでい]]』の主人公キャンの居候先の父でプロレスラーの伏魔春句(ハルク・トーサン)のモデルである。
* 『[[カンニンGOOD]]』にてホーガンをモデルにした悪徳教師の丸九砲丸先生が登場している。
* [[エーディーケイ|ADK]]の[[対戦型格闘ゲーム]]『[[ワールドヒーローズ]]』シリーズに登場するプロレスラー、マッスルパワー(クリス・ハンガー)はホーガンをモチーフにして作られた。当初はホーガンによく似ていたが、後に肖像権問題対策の為、顔が変わっている。
* ソーシャルゲーム「[[グランブルーファンタジー]]」に登場(課金ガチャ排出)するカジノ闘士・ファスティバは容姿が酷似しており、「ラブマックス・ボンバー」というラリアット風の奥義を用いる。アックス・ボンバーによく似たポーズのグラフィックも用意されている。
* [[バンパイヤンキッズ]]に登場するナンチャッテ伯爵の父親はホーガンをモデルとしている。
 
=== 入場曲 ===
* Real American / [[リック・デリンジャー|Rick Derringer]](WWF/WWE)(WWF / WWE)
* Voodoo Child (slight return) / [[ジミ・ヘンドリックス|Jimi Hendrix]](WCW-NWO/WWE)NWO / WWE)
: [[エアギター]]をしながら入場する
* AMERICAN MADE / [[HULK HOGAN and The Wrestling Boot Band]](WCWBand(WCW)
* Eye of The Tiger / [[サバイバー (バンド)|Surviver]](新日本プロレス)
* Ravishing / [[ボニー・タイラー|Bonnie Tyler]](新日本プロレス)
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=== ゲーム ===
* [[Saints Row: The Third]](2011年) - エンジェル役
 
=== ハルク・ホーガンをモデルとした架空の人物とキャラクター ===
* 「[[キン肉マン]]」の登場人物の[[ネプチューンマン]]のモデルの一人である。いずれもホーガンがモデルとなった読者投稿キャラ「イチバンマスク」と「ハルクマシーン」が合成され、ネプチューンマンとなった。
* 1984年から1989年まで月刊『[[コミックボンボン]]』([[講談社]])にてホーガンをモデルにした[[ギャグ漫画]]、『[[やっぱ!アホーガンよ]]』(作・画:[[柴山みのる]])が連載されていた。当初はプロレスをモチーフにしていたが、後にお下劣ギャグ漫画に方向転換した。
* [[田中久志|ひすゎし]]の原作マンガ『[[CAN☆キャンえぶりでい]]』の主人公キャンの居候先の父でプロレスラーの伏魔春句(ハルク・トーサン)のモデルである。
* 『[[カンニンGOOD]]』にてホーガンをモデルにした悪徳教師の丸九砲丸先生が登場している。
* [[エーディーケイ|ADK]]の[[対戦型格闘ゲーム]]『[[ワールドヒーローズ]]』シリーズに登場するプロレスラー、マッスルパワー(クリス・ハンガー)はホーガンをモチーフにして作られた。当初はホーガンによく似ていたが、後に肖像権問題対策の為、顔が変わっている。
* ソーシャルゲーム「[[グランブルーファンタジー]]」に登場(課金ガチャ排出)するカジノ闘士・ファスティバは容姿が酷似しており、「ラブマックス・ボンバー」というラリアット風の奥義を用いる。アックス・ボンバーによく似たポーズのグラフィックも用意されている。
*  [[バンパイヤンキッズ]]に登場するナンチャッテ伯爵の父親はホーガンをモデルとしている。
 
== その他 ==
[[ファイル:Hulk Hogan.jpg|250px|right|]]
* 20代前半から髪が薄く、当初バンダナは「ハゲ隠し」だったが次第にそれがファッションとなっていった。
* 日本とアメリカでファイトスタイルを巧みに使い分けている。特に日本で試合をする際は意識的にグラウンドや密着技を多用し、腕ひしぎ逆十字固めなども使用し独特の入り方をみせる。これは、ホーガンが新日本の常連外国人だったころの名残であると思われている。この器用さがホーガンをトップスターにした要因の1つだと言われている。初来日の頃はまだまだ荒削りであったが、新日本プロレスで揉まれるうちにレスリング技術や試合運びが良くなったという<ref name="hogandesse">『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p84-85</ref>。
* ホーガンと行動を共にしていたレスラーの[[ブルータス・ビーフケーキ]]はホーガンの弟とされていたが実際は血縁関係はなく、少年時代からの幼馴染である(ルーキー時代に兄弟タッグとして活動していたため、この誤解が生じたと考えられる。また、ビーフケーキが「エド・レスリー」の名で新日本プロレスに初来日した際には、会場売りのパンフレットに掲載されたプロフィールにも「ハルク・ホーガンの弟」という記載があった)。
* 現役のプロレスラーの多くがホーガンのファンであるらしいが、見た目重視のスタイルから[[レスリング]]の技術をセールスポイントにするプロレスラーの中には、ジレンマを感じる者も少なくないらしい。特に全盛期のライバル、[[ランディ・サベージ]]と[[ポール・オーンドーフ]]のホーガン嫌いは有名である。
* [[1986年]]、WWFで日本からの輸入の形で活躍していた[[若松市政#マシーン軍団|マシーン軍団]](ジャイアント・マシーン=[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]、スーパー・マシーン=[[ビル・イーディー|マスクド・スーパースター]]、ビッグ・マシーン=[[ブラックジャック・マリガン]]、パイパー・マシーン=[[ロディ・パイパー]]、クラッシャー・マシーン=[[クラッシャー・リソワスキー]])に加入し、ハルク・マシーンとしてMSG定期戦に出場したことがある。なお、名前段階から正体はバレバレだが、入場の際、被ってきたマスクの上に「ハルカマニア」の赤いバンダナを巻いてきたり、ハルクアップを披露するなど、バカバカしさを追求しており、後のミスター・アメリカ・ギミックの際、「あの時と一緒」と見たマニアも存在した。
* [[1990年]]末から[[1992年]]にかけては[[日立製作所|日立]]の[[エア・コンディショナー|エアコン]]「[[ビッグフロー]]」「[[白くまくん]]」のCMに登場し、一週間の歌を歌ったり「ホソナガおじさん」として登場、[[横綱土俵入り#雲龍型の土俵入り|雲龍型の土俵入り]]を真似たパフォーマンスを行ったり「'''ホーソーナガー!'''」と絶叫するなどした。ホソナガおじさんについては、後半のCMではCMソングも作られている。
* [[エレクトリックベース]]のテクニックもなかなかの物だという。
* [[アラン・ファンク]]がハルクの容姿・ファイトスタイルを真似た[[オマージュレスラー]]だが、ハルクと比べかなり小柄である。
* [[アナボリックステロイド|ステロイド]]剤の使用を認めている<ref>『USAスポーツ狂騒曲 アメリカは今日もステロイドを打つ』 序章 [[町山智浩]] ISBN 9784087805161</ref>。
* [[2012年]]、プライベートでの[[性交|セックス]]シーンがインターネット上に流出するというスキャンダルに見舞われる。性交相手の女性とその元夫でホーガンとも交友関係にあった男が共謀し盗撮、ゴシップサイトに売り渡し、ゴシップサイトが流出させたとされる。ホーガンは2人とゴシップサイトに対して1億ドル(約79億円)の損害賠償を求める訴訟を起こした。
* TNAやWCWで進行に深く関わって自身を常にストーリーラインの中心に置きたがり、親族や友人を縁故出演させるなど公私を混同した行動をとり、強力なトップダウン式の権力構造を持つWWEではたびたび起用法を巡ってビンスと衝突して離脱と復帰を繰り返すといった多くのスターレスラーの例に漏れずエゴイスティックな面もたびたび指摘されている。
* スタン・ハンセンが新日本のトップとして君臨していた時はギャラはハンセンの方が新日本の選手の中で一番であったが、それから1年半した頃、新間寿はホーガンのギャラをハンセンと同じにした。そのことを新間がハンセンに伝えると、ハンセンは「オマエはフェアだ。よくそれを俺に教えてくれた。ありがとう」と感謝の言葉を述べた。ハンセンがホーガンを認めていたことを表すエピソードである<ref name="hogandesse"/>。
 
== 参考文献 ==