「ピート・シンフィールド」の版間の差分

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初期の[[キング・クリムゾン]]で「作詞を担当する準メンバー」という極めて特異な立場で参加していた。ロック・ミュージックに壮大なスケールの世界観を持ち込み、バンドの方向性を決定付けた。また、ステージでの照明効果も担当する。[[1972年]]初頭にクリムゾンを脱退。一年後の[[1973年]]にソロ・アルバム『スティル』を完成させる。([[1993年]]にピーター・シンフィールド名義で、CD『スティルージョン』として再発売)
 
基本的にはミュージシャンでは無いが、[[1970年代]]前半の[[プログレッシブ・ロック]]・シーンに於けるピート・シンフィールドの業績は大きいと言える。[[キング・クリムゾン]]での実績はもちろんだが、[[ロキシー・ミュージック]]のデビュー作『[[ロキシー・ミュージック (アルバム)|ロキシー・ミュージック]]』をプロデュースしたり、[[エマーソン・レイク・アンド・パーマー]]の『[[恐怖の頭脳改革]]』に作詞で参加したり、まだ世界的に無名だった[[イタリア]]の[[プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ|PFM]]を[[マンティコア・レベルド]]で国際展開させるといった活動歴を残している。また、[[シェール]]や[[セリーヌ・ディオン]]の作品に歌詞を提供し、世界的な成功を収めている。
 
2011年8月7日、BS-TBSで放送された番組「[[SONG TO SOUL|SONG TO SOUL ~永遠の一曲~]] [[クリムゾン・キングの宮殿]]」に英国取材で出演。[[キング・クリムゾン]]誕生前後の状況や楽曲制作の裏話を証言した。