削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
150行目:
* 『[[常山紀談]]』によると「大男にて、百人にもすぐれたるもったいにて、学問詩歌の達者、才知武道兼ねたる兵なり。恐らく天下の御仕置にかかり候とも、あだむまじき仁体なり」とあり、それに続いて「長高く容儀骨柄並びなく、弁舌明に殊更大胆なる人なり」と兼続を高く評価している。それを受けた『名将言行録』では、「背が高く、容姿は美しく、言葉は晴朗」であったとされている<ref>今福匡『直江兼続』(新人物往来社、2008年)45頁</ref>。
* [[御館の乱]]の頃の兼続は、史料においても正確な行動が明らかではなく、春日山城に近侍していた顔ぶれの中にも、兼続は入っていない。ましてや景勝の家督継承を主導したとは、全くの妄説である<ref>今福匡『直江兼続』(新人物往来社、2008年)47頁</ref>。
* 兼続の死後、主君を誤らせ徳川家康に刃向かう、上杉家を窮地に陥れた奸臣とされていたが、米沢藩第9代藩主の[[上杉治憲|上杉鷹山]]が兼続を手本に藩政改革を行なったことから次第に再評価が高まった。
 
== 関連作品 ==