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この時代の興行収入や[[プロレス]]・[[ボクシング]]などの使用料収入が両国「新」国技館の建設費用に貢献したと言われている。プロレスでは、プロレスブームの出発点となった[[力道山]]・[[木村政彦]]対[[シャープ兄弟]]の一戦に始まり、力道山対木村の日本選手権、[[ミルドレッド・バーク]]らを招いて行われた日本初の[[女子プロレス]]大会、[[アントニオ猪木]]対[[ジョニー・バレンタイン]]の[[東京プロレス]]旗揚げ戦、[[ジャイアント馬場]]対[[ボボ・ブラジル]]の馬場の[[ドロップキック|三十二文ロケット]]三連発、[[ザ・ファンクス]]対[[アブドーラ・ザ・ブッチャー|ブッチャー]]・[[ザ・シーク|シーク]]の『[[世界オープンタッグ選手権]]』最終戦、[[佐山聡|初代タイガーマスク]]デビュー戦・タイガーマスク対[[ダイナマイトキッド]]など、昭和プロレスの名勝負の数々が戦われた会場でもある。ボクシングでも[[ポーン・キングピッチ]]対[[関光徳]]の世界[[フライ級]][[タイトルマッチ]]を皮切りに数多くの世界戦が組まれた。蔵前国技館で初めて世界王座を獲得した日本人選手は[[ファイティング原田]]で、ポーンを11ラウンド[[ノックアウト|K.O.]]で退けた後に世界チャンピオン誕生を祝福する[[座布団の舞]]が起こった。また、[[沼田義明]]対[[小林弘]]の史上初となる日本人同士の世界戦が行われたのも蔵前国技館である。
 
なお、当時は現在の両国国技館のように[[エレベーター]]式の昇降型[[土俵]]ではなかったため、プロレスやボクシングなどの興行を行うときには、土俵の真上に(土俵に覆い被せる形で)リングを設置していた。そのため、プロレス興行に登場する[[ヒール (プロレス)|悪役レスラー]]が、リングの下から土俵の土や砂を握って、反則攻撃に使うことがお馴染みとなっていた。また、あくまで[[女人禁制]]の大相撲の土俵上であるために女子プロレスなど女子が出場する大会には次第に貸さなくなり花束嬢はリングには上がれずレスラーがリングに上がる前に花束を渡していた<ref>[https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180407/spo1804070003-n3.html 世界が八角理事長にNO!NO! 女人禁制問題、米・英・仏でも報道 「日本でどのように女性が扱われているかを物語った」(3/3ページ)]『[[夕刊フジ|zakzak]]』2018年4月7日</ref>。
 
[[1953年]](昭和28年)、第1回[[全日本剣道選手権大会]]、[[1956年]](昭和31年)、[[1956年世界柔道選手権大会|第1回世界柔道選手権大会]]の会場にも使用された。