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大公フランツ・フェルディナントとゾフィーは予定していた計画を諦め、爆弾による負傷者を見舞うためサラエボ病院を訪れることを決めた。午前10時45分、大公夫妻は市庁舎を出て車列に戻り、再び3台目の車に乗り込んだ{{sfn|Dedijer|1966|p=15}}。街の中心部を避けるため、ポティオレク総督は大公の車の予定されていた運転ルートを変更し、病院までアペル・キーをまっすぐ進ませることに決めていた。しかし、運転手{{ill2|レオポルト・ローチャ|en|Leopold Lojka}}<ref>{{cite news|author= |url=http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,722283,00.html |title=Time Magazine Milestones (as Leopold Lojka) |publisher=Time.com |date=1926-08-09 |accessdate=2010-08-03}}</ref>はアペル・キーからフランツ・ヨーゼフ通りに向け右折した。これは、ポティオレクの補佐官エリック・フォン・メリッツィが入院中であり、運転ルートの変更についてローチャに伝えることができなかったためだった<ref>{{cite web|url=https://archive.org/stream/sarajevothestory010489mbp/sarajevothestory010489mbp_djvu.txt |title=Full text of "Sarajevo The Story of a Political Murder" |publisher=Archive.org |date= |accessdate=2013-10-28}}</ref>。
===大公夫妻の射殺===
[[File:Gavrilo_Princip_captured_in_Sarajevo_1914.jpg|thumb|200px|right|暗殺直後の現場の様子{{sfn|Butcher|2014|loc=p. 277; この写真はプリンツィプ逮捕の模様を写したものとされることが多いが、現代の歴史家は、連行されているのは現場に偶然居合わせたフェルディナント・ベーア(Ferdinand Behr)という人物であると考えている}}]]
[[File:Gabrillo Princip's pistol (3444725633).jpg|thumb|180px|プリンツィプが大公フランツ・フェルディナントを殺害したピストル([[FN ブローニングM1910|FNモデルM1910]])]]