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Aの発言は「XはYである。ZもYである。故にZはXである」という形式の三段論法で、これは論理学で媒概念不周延の虚偽と呼ばれる。このタイプの推論は、Z⊆X⊆Y(⊆:[[数学記号の表|部分集合]])でない限り成立しないので、恒真命題ではない。Aの発言は「カラスは生物である。スズメバチも生物である。故にスズメバチはカラスである(あるいはカラスはスズメバチである)」という発言と論理構造が等しい。また、Aの発言について、「頭の良い人間は皆、読書家だ」が真であったとしても、「読書家は頭がいい」はそれの逆となるため、必ずしも真であるとは限らない。
 
==== 早まった一般化 (hasty generalization) ====
{{Main|早まった一般化}}
* A「私が今まで付き合った4人の男は、皆私に暴力を振るった。'''男というものは暴力を好む生き物なのだ'''」
 
Aの発言は、少ない例から普遍的な結論を導こうとしており、早まった一般化となる{{efn2|つまり、暴力が好きな男が存在する(ある男は暴力的である)という個別の事実から、暴力が好きでない男が存在するはずがない(すべての男は暴力的である)という全称判断(断定)を引き出しており、誤りを犯していることになる。}}。仮に「男というものは暴力が好きなの''かもしれない'' 」と断定を避けていれば、その発言は[[帰納]]となる(帰納は演繹ではないので、厳密には論理的に正しくない)。Aの発言を反証するためには、暴力が好きでない男の存在(ある男は暴力的でない)を示せばよい。Aの発言は、「1は60の約数だ。2も60の約数だ。3も60の約数だ。4も60の約数だ。5も60の約数だ。6も60の約数だ。つまり、全ての自然数は60の約数なのだ」と論理構造は等しい。
 
この種の話法例は容易であり「ある'''貧困'''者が努力により成功した」「ある'''障害'''者が努力により成功した」などの論調により統計的な検証を待たずして命題として認証される誤謬の原因となる可能性がある。ある貧困者や障害者が「努力」を要因として成功したとしても、それは問題の解決にとって論証的に有効な提示となりえるかどうかは分からない。都合の良い事例や事実あるいは要因のみを羅列し、都合の悪い論点への言及を避け、誤った結論に誘導する手法は「つまみぐい ([[チェリー・ピッキング]])」と呼ばれる。また、極稀な例を挙げ、それをあたかも一般的であるように主張することもこの一種となる。
 
==== 合成の誤謬 (fallacy of composition) ====
{{Main|合成の誤謬}}
* A「Bさんの腕時計は[[ロレックス]]で、財布とサングラスは[[グッチ]]だった。'''きっと彼はお金持ちに違いない'''」
 
これは「ある部分がXだから、全体もX」という議論で、合成の誤謬と呼ばれる。この例では金持ちでなくても他の部分で節約しつつ、いくつかの高級ブランド品を購入して着用している可能性もあるため必ずしも真ではない。
 
早まった一般化との違いは、最初に着目するものが「全体に対しての部分」であるという点。この種の論証は必ずしも真ともならないが必ずしも偽ともならない。もしこの種の論法がつねに有効であるとすれば、「Bさんは白ワインが大好きだ。他にもエビフライ、アロエのヨーグルト、カスタードクリームが好きだと聞いた。なら、白ワインとカスタードクリームを混ぜたアロエのヨーグルトをエビフライにかけた物も喜んで食べるに違いない」といった推論がつねに正しいことになる{{efn2|逆に「Bさんはエビフライとトンカツとカレーライスが大好きだ。だからエビフライとトンカツをカレーライスに載せたものも喜んで食べるに違いない」といった推論がつねに偽であるとすることもできない。合成の誤謬の典型的な例については[[コモンズの悲劇]]も参照。}}。
 
経済学では、[[ミクロ経済]]で通用する法則が[[マクロ経済]]でも通用するとは限らない、という論旨で使われる。自然科学や社会科学では、[[複雑系]]では[[還元主義]]的手法が通用するとは限らない、という論旨で使われる。
 
==== 分割の誤謬 (fallacy of division) ====
* A「○○国のGDPは高い。だから○○国民は経済的に豊かだ。」
 
これは「全体がXだから、ある部分もX」という議論で、分割の誤謬と呼ばれる。合成の誤謬とは逆のパターンの詭弁。Aの発言は「Bさんはカレーライスが大好物だ。だからニンジンやジャガイモや米やカレー粉をそのまま与えても喜んで食べるだろう」と論理構造が等しい。
 
=== 媒概念曖昧の虚偽 (fallacy of the ambiguous middle) ===
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[[未知論証]]の一つ。[[創造科学]]やオカルト的な主張でよく用いられる論法である。神は自然現象の未解明の部分(隙間)に住んでいて、新たな事実が解き明かされ、未解明な部分が減っていくと神の住むところもどんどん狭くなっていくという皮肉が込められた呼称。
 
=== 早まった一般化 (hasty generalization) ===
{{Main|早まった一般化}}
* A「私が今まで付き合った4人の男は、皆私に暴力を振るった。'''男というものは暴力を好む生き物なのだ'''」
 
Aの発言は、少ない例から普遍的な結論を導こうとしており、早まった一般化となる{{efn2|つまり、暴力が好きな男が存在する(ある男は暴力的である)という個別の事実から、暴力が好きでない男が存在するはずがない(すべての男は暴力的である)という全称判断(断定)を引き出しており、誤りを犯していることになる。}}。仮に「男というものは暴力が好きなの''かもしれない'' 」と断定を避けていれば、その発言は[[帰納]]となる(帰納は演繹ではないので、厳密には論理的に正しくない)。Aの発言を反証するためには、暴力が好きでない男の存在(ある男は暴力的でない)を示せばよい。Aの発言は、「1は60の約数だ。2も60の約数だ。3も60の約数だ。4も60の約数だ。5も60の約数だ。6も60の約数だ。つまり、全ての自然数は60の約数なのだ」と論理構造は等しい。
 
この種の話法例は容易であり「ある'''貧困'''者が努力により成功した」「ある'''障害'''者が努力により成功した」などの論調により統計的な検証を待たずして命題として認証される誤謬の原因となる可能性がある。ある貧困者や障害者が「努力」を要因として成功したとしても、それは問題の解決にとって論証的に有効な提示となりえるかどうかは分からない。都合の良い事例や事実あるいは要因のみを羅列し、都合の悪い論点への言及を避け、誤った結論に誘導する手法は「つまみぐい ([[チェリー・ピッキング]])」と呼ばれる。また、極稀な例を挙げ、それをあたかも一般的であるように主張することもこの一種となる。
 
==== 合成の誤謬 (fallacy of composition) ====
{{Main|合成の誤謬}}
* A「Bさんの腕時計は[[ロレックス]]で、財布とサングラスは[[グッチ]]だった。'''きっと彼はお金持ちに違いない'''」
 
これは「ある部分がXだから、全体もX」という議論で、合成の誤謬と呼ばれる。この例では金持ちでなくても他の部分で節約しつつ、いくつかの高級ブランド品を購入して着用している可能性もあるため必ずしも真ではない。
 
早まった一般化との違いは、最初に着目するものが「全体に対しての部分」であるという点。この種の論証は必ずしも真ともならないが必ずしも偽ともならない。もしこの種の論法がつねに有効であるとすれば、「Bさんは白ワインが大好きだ。他にもエビフライ、アロエのヨーグルト、カスタードクリームが好きだと聞いた。なら、白ワインとカスタードクリームを混ぜたアロエのヨーグルトをエビフライにかけた物も喜んで食べるに違いない」といった推論がつねに正しいことになる{{efn2|逆に「Bさんはエビフライとトンカツとカレーライスが大好きだ。だからエビフライとトンカツをカレーライスに載せたものも喜んで食べるに違いない」といった推論がつねに偽であるとすることもできない。合成の誤謬の典型的な例については[[コモンズの悲劇]]も参照。}}。
 
経済学では、[[ミクロ経済]]で通用する法則が[[マクロ経済]]でも通用するとは限らない、という論旨で使われる。自然科学や社会科学では、[[複雑系]]では[[還元主義]]的手法が通用するとは限らない、という論旨で使われる。
 
==== 分割の誤謬 (fallacy of division) ====
* A「○○国のGDPは高い。だから○○国民は経済的に豊かだ。」
 
これは「全体がXだから、ある部分もX」という議論で、分割の誤謬と呼ばれる。合成の誤謬とは逆のパターンの詭弁。Aの発言は「Bさんはカレーライスが大好物だ。だからニンジンやジャガイモや米やカレー粉をそのまま与えても喜んで食べるだろう」と論理構造が等しい。
 
==== 多数論証 (ad populum) ====
{{see also|バンドワゴン効果|衆人に訴える論証}}
* A「B君も早くCを買うべきだ。'''もう皆そうしている'''」
 
Aの発言は「Xは多数派である。多数派は正しい。故にXは正しい」というタイプの推論。『多数派』は『正しい側』と論理的に同値ではなく包含関係にもないので、この論理は演繹にならない。むしろこの論理は、多数派に属しないと不利になるという脅迫論証の一種といえる。また、Aが「多数派は正しい。故に多数派ではなければ(少数派であれば)正しくない」という意味で発言しているならそれは前件否定の虚偽でもある。また、Aの多数論証は、規範文(そうするべき)の根拠が記述文(そうしている)になっているため、自然主義の誤謬(前述)にもなっている{{efn2|ちなみに、この論証は、「あなたはサムライでありたいならば、あなたも刀をもつべきだ。なぜならば、すべてのサムライが刀をもっている<!--すべて刀をもたないものは、サムライではない、とはいえないが-->からだ」という論法と同型である。かりにこの論法を認めたとしても、これまでのすべてのサムライが刀をもっていたことが、これからのサムライが刀をもつべき理由とはならないため、やはり自然主義の誤謬を犯していることになる。}}。
なお、厳密には「全員」ではないにもかかわらず「皆」「誰も」という言葉が使われているような場合、これを[[誇張法]] (hyperbole) という。誇張法は詭弁ではなく[[修辞技法|レトリック]]。無論、計数可能な「皆」「誰も」が肯定しているからといってその命題が正しいかどうかは分からない{{efn2|またレトリックとして見た場合、Aの発言は、「これから皆がそうしてほしい」という発言者の願望を表現している可能性もある。}}。
 
=== 論点のすりかえ (Ignoratio elenchi) ===
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* B「'''数学を目の敵にしている君がそんな事を言っても、'''説得力は無いな」
この場合、Bの発言が対人論証となる。ただし、「Aが数学嫌いである」ことが、「数学の知識は社会で役に立つ」という主張に根拠を与えるわけではない(未知論証も参照)。すなわち「Aは数学嫌いである。'''故に'''数学の知識は社会で役に立つ」は[[演繹]]にならない為、論理として成立しない。仮に、BがAの結論を否定する以外の目的で発言したのなら、それは反論ではなく論点のすり替えとなる。-->
 
===== 連座の誤謬 (guilt by association) =====
* A「科学者Bの学説に対し、C教が公式に賛同を表明した。'''しかしC教は胡乱なペテン集団だ。B氏の学説もきっと信用には値しない'''」
 
これも対人論証の一種で、「その主張を支持する者の中にはろくでもない連中がいる。'''故に'''その主張は間違った内容である」というタイプの推論である。どのような個人または集団に支持されているか、という事柄は数学的・論理学的な正しさとは無関係なので、これは演繹にならない。
 
==== 状況対人論証 (circumstantial ad hominem) ====
164 ⟶ 162行目:
 
Aに対するBの発言は、特定の人間が置かれている『状況』を論拠としている。「D社に勤める家族を持つ者」は「D社に都合の良い嘘を述べる者」と論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、「C君のお父さんはD社に勤めている。'''故に'''D社のデジタルカメラは買わない方がいい商品である」は演繹にならない。このように、「その人がそんな事を言うのは、そういう状況に置かれているからに過ぎない(故に信用に値しない)」というタイプの対人論証を指して、「状況対人論証」と呼ぶ。
 
==== 連座の誤謬 (guilt by association) ====
{{Main|人身攻撃}}
 
* A「科学者Bの学説に対し、C教が公式に賛同を表明した。'''しかしC教は胡乱なペテン集団だ。B氏の学説もきっと信用には値しない'''」
 
これも対人論証の一種で、「その主張を支持する者の中にはろくでもない連中がいる。'''故に'''その主張は間違った内容である」というタイプの推論である。どのような個人または集団に支持されているか、という事柄は数学的・論理学的な正しさとは無関係なので、これは演繹にならない。
 
=== 論点回避 (Begging the question) ===
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論理構造としては、「(勤勉な人はすべて仕事を怠けないと仮定する。Bさんは勤勉な人であると仮定する。すると)Bさんは勤勉な人である。故にBさんは怠けない。」「(素晴らしい画家は偉大な画家であると仮定する。[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]は素晴らしい画家であると仮定する。すると)[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]は素晴らしい画家である。故に偉大な画家である。」仮定の部分の論点を先取り(回避)した論理構成となっている。
 
====== 循環論証 (circular reasoning) ======
{{Main|循環論法}}
* A「B君の言っている事は'''詭弁'''だ(屁理屈だ・揚げ足取りだ)。だから'''間違っている'''。」
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Bは「(なぜなら)○○条約によれば〜」などと論証すべきところを脅迫や威嚇の文言で置き換えており有効な演繹推論となっていない。「ゆるさ'''れ'''ない」と自発の助動詞を挿入する事で、主語・主体を曖昧にすることで、あるかどうか分からない根拠を暗示・示唆する(未知論証)なり、権威論証(上述)、あるいは多数論証(みなが許さないといっている)なりに持ち込む方法がある。たとえば「規則ですから」という漠然とした言いまわしは、その規則を制定した意志主体を曖昧にするもので、この方法の一種といえる。制定法は議会によるものであれ主君(主権)の命令によるものであれある種の脅迫論証をつねに含んでおり、正当性の契機(法源)が重要となる。
 
===== 多数論証 (ad populum) =====
{{see also|バンドワゴン効果|衆人に訴える論証}}
* A「B君も早くCを買うべきだ。'''もう皆そうしている'''」
 
Aの発言は「Xは多数派である。多数派は正しい。故にXは正しい」というタイプの推論。『多数派』は『正しい側』と論理的に同値ではなく包含関係にもないので、この論理は演繹にならない。むしろこの論理は、多数派に属しないと不利になるという脅迫論証の一種といえる。また、Aが「多数派は正しい。故に多数派ではなければ(少数派であれば)正しくない」という意味で発言しているならそれは前件否定の虚偽でもある。また、Aの多数論証は、規範文(そうするべき)の根拠が記述文(そうしている)になっているため、自然主義の誤謬(前述)にもなっている{{efn2|ちなみに、この論証は、「あなたはサムライでありたいならば、あなたも刀をもつべきだ。なぜならば、すべてのサムライが刀をもっている<!--すべて刀をもたないものは、サムライではない、とはいえないが-->からだ」という論法と同型である。かりにこの論法を認めたとしても、これまでのすべてのサムライが刀をもっていたことが、これからのサムライが刀をもつべき理由とはならないため、やはり自然主義の誤謬を犯していることになる。}}。
なお、厳密には「全員」ではないにもかかわらず「皆」「誰も」という言葉が使われているような場合、これを[[誇張法]] (hyperbole) という。誇張法は詭弁ではなく[[修辞技法|レトリック]]。無論、計数可能な「皆」「誰も」が肯定しているからといってその命題が正しいかどうかは分からない{{efn2|またレトリックとして見た場合、Aの発言は、「これから皆がそうしてほしい」という発言者の願望を表現している可能性もある。}}。
 
=== 多重尋問 (complex question) ===