「シモン・アマン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
スキーフライングW杯、2018-19シーズン、リンク修正
11行目:
| club = RG Churfirsten
| skis = [[:en:Fischer (company)|Fischer]]
| personalbest = 238.5m(Vikersund5m 2011)([[ヴィケルスンジャンプ競技場|ヴィケルスン]] 2011)
| seasons = 1997年 -
| wins = 23回
33行目:
}}
 
'''シモン・アマン''' (''Simon Ammann''、[[1981年]][[6月25日]] - ) は、[[スイス]]の[[ノルディックスキー]][[スキージャンプ|ジャンプ]]選手。身長172cm、体重58kg。愛称は「Simi(Simi (シミー)」。
 
== プロフィール ==
スイス東部、[[ザンクト・ガレン州]]グラブス村で、酪農を営む父ハインリッヒ、母マルグリットの間に、5人兄弟の真ん中として生まれる。少年時代、[[アルペンスキー]]選手を目指し、チーム入りを希望するが、体重が軽すぎるという理由で断られる。地元で開催されたジャンプ大会に飛び込みで参加、優勝し、以後ジャンプ競技を目指すに取り組む
身長によってスキー板の長さが限られるジャンプ競技では一般的に180cmを超える長身選手が有利とされるが、172cmというジャンプ選手としては恵まれない体格にも関わらず、その卓抜したバランス感覚を武器としてジャンプ競技を勝ち抜いている。
 
1997-1998シーズンに[[スキージャンプ・ワールドカップ]]にデビュー。[[1998年]]に16歳で出場した[[1998年長野オリンピックのスキージャンプ競技|1998年長野オリンピック]]は、[[ノーマルヒル]]35位、[[ラージヒル]]39位となる。
 
2001-2002シーズンは序盤好調で12月中のワールドカップで初表彰台を含む4度の表彰台を記録(入り (ただし優勝は無かった)。[[2002年ソルトレークシティオリンピックのスキージャンプ競技|ソルトレークシティオリンピック]]直前の[[2002年]]1月11日、[[ドイツ]]で行われたW杯ヴィリンゲン大会の公式練習中に、空中でバランスを崩して頭から地面に突っ込んで脳震盪を起こし、むちうちになって首に[[コルセット]]をつけるほどの怪我を負った。五輪出場が危ぶまれたが、復帰し出場する。2月10日のノーマルヒル決勝は、1回目98メートル、2回目98.5メートルで、優勝候補の[[アダム・マリシュ]]([[ポーランド]]) ({{POL}}) と6点差、[[スヴェン・ハンナバルト]](ドイツ) ({{DEU}}) と1.5点差となる269.0点で金メダル、スイス人でジャンプ競技の金メダルは初であった。2月13日に行われたラージヒル決勝でも、1回目132.5メートル、2回目は最長不倒の133メートルを飛び合計281.4点で金メダルを獲得。[[1988年]][[1988年カルガリーオリンピックのスキージャンプ競技|1988年カルガリーオリンピック]]の[[マッチ・ニッカネン]]([[フィンランド]]) ({{FIN}}) 以来史上2人目の個人2冠となった。2月18日の団体では7位で、ニッカネン以来の3冠はならなかった。
この活躍で2002年の[[w:en:Swiss Sports Personality of the Year|スイス・スポーツパーソナリティ・オブ・ザ・イヤー]]を受賞した。
<!--NOR : [[アルペンスキー]]強国というイメージがあるスイスから突然現れたスターに、-->[[国際スキー連盟]]のジャンプ競技運営責任者ヴァルター・ホーファーは、<!--NOR : 魔法使いの少年が突然その能力に目覚めるストーリーをアマンに重ね、-->「スキー界の[[ハリー・ポッター]]だ」と述べた<!--NOR : (確かに、[[眼鏡]]をかけた彼はハリーによく似ていた)-->。<!--どの新聞かあいまい:スポーツ新聞は「魔法のホウキならぬスキー板に乗った」と述べる-->ワールドカップ初は五輪後の3月17日[[ホルメンコーレン大会におけるキージャンプ競技|ホルメンコーレン大会]]であげた。
 
しかしこの2冠のあと数シーズンはさほど目立った成績は残せず、[[2006年]]の[[2006年トリノオリンピックのスキージャンプ競技|2006年トリノオリンピック]]はノーマルヒル38位、ラージヒル15位であった。
 
2006-2007シーズンは、ワールドカップで12月に5シーズンぶりの通算2勝目を記録するなど好調であった。[[2007年ノルディックスキー世界選手権札幌大会]]では2月24日に[[大倉山ジャンプ競技場]]で行われたラージヒル個人で優勝、翌日同所で行われたラージヒル団体でもスイスは表彰台に上れなかったもののアマン自身は2本とも大倉山のヒルサイズ134メートルを越えるジャンプをする。3月3日に行われたノーマルヒル個人でも銀メダルを獲得した。さらに[[ホルメンコーレン大会におけるスキージャンプ競技|オスロホルメンコーレン大会]]で勝利するなどしてワールドカップ総合3位に躍進した。
 
2006年から[[スイス連邦工科大学]]チューリッヒ校に通学する。[[2007年]]に[[ホルメンコーレン・メダル]]を受章。
 
2008-2009シーズンは開幕から好調で12月までに5勝を挙げ、それ以外でも2位8回、3位4回でシーズン17回の表彰台を記録するが、入りした。しかし1月に入って以降は[[グレゴア・シュリーレンツァウアー]] ({{AUT}}) が6連勝するなど調子を上げ、当時の新記録となるシーズン13勝を挙げた[[オーストリア]]の[[グレゴア・シュリーレンツァウアー]]ため引き離され総合2位に終わった(2015-2016シーズンに[[ペテル・プレヴツ]]が15勝に更新)
 
[[2009年]]5月に{{仮リンク|アインジーデルン|de|Einsiedeln}}のミディアムヒル(HS77) (HS77) にアマンの名が冠され、同時にラージヒル(HS117) (HS117) には[[アンドレアス・キュッテル]]の名が冠された<ref>[http://www.skisprungschanzen.com/EN/Ski+Jumps/SUI-Switzerland/Einsiedeln/0530-Schanzen+Einsiedeln/ ]</ref>。
 
2009-2010シーズンも開幕から好調で、前年同様シュリーレンツァウアーと激しくワールドカップ総合1位を争い、トップで迎えた[[2010年バンクーバーオリンピックのスキージャンプ競技|バンクーバーオリンピック]]では、個人ノーマルヒル及びラージヒルですべてのジャンプで最長不倒距離を記録して優勝、ソルトレクシティオリンピック以来の個人二冠となる。オリンピックジャンプ競技での個人2冠の2回達成は史上初である<ref>[http://vancouver.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100221-00000020-jij_van-spo アマン、圧巻の2冠=見せた別次元の強さ] 時事通信2010年2月21日</ref>。
オリンピック後も好調を維持し、[[ノルディックトーナメント]]では4戦全勝優勝、シーズン9勝をあげて初のワールドカップ総合優勝を手にした<ref>[http://www.fis-ski.com/pdf/2010/JP/3051/2010JP3051WC.pdf World Cup Standings(PDF)]</ref>。これらの偉業に対し再びスイス・スポーツパーソナリティ・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
 
[[日本]]のテレビ番組『[[NHKスペシャル]]』「[[ミラクルボディー]]」(第2回:ジャンプ [[日本放送協会|NHK]]、2010年2月12日放送<ref>[http://www.nhk.or.jp/special/onair/100212.html NHKスペシャル「ミラクルボディー」案内ページ]</ref>) にて、アマンの肉体に関する詳細なデータが紹介された。
 
[[2010年]]6月に結婚<ref>[http://www.blick.ch/news/geheime-hochzeit-id52990.html Simi & Yana Geheime Hochzeit]</ref>。
2010-2011シーズンは3勝をあげて総合2位、[[2011年ノルディックスキー世界選手権]]では個人ラージヒルで銅メダルを獲得した。
 
2011-2012シーズンはこれまでの実績と比べて見劣りする結果となった。表彰台の中央に立つこと優勝はなく2位と3位が2回ずつで総合11位に終わった。
[[2012年]]には長年の夢だったパイロットのライセンスを取得した<ref>[http://skijumping.berkutschi.com/jp/news/show/1184 シモン・アマン、パイロットのライセンスを取得]</ref>。
 
2012-2013シーズンもあまり調子は上がらず、終盤は試合を欠場して早めにシーズンを切り上げ結局総合14位に終わった。
 
[[2014年ソチオリンピックのスキージャンプ競技|2014年ソチオリンピック]]に[[スイス]]代表として5大会連続で出場を果たした。しかし、ノーマルヒル個人にて17位、ラージヒル個人にて23位と精彩を欠き、メダル獲得を逃した。
 
2014-2015シーズンは11月28、29日の第2戦、第3戦[[ルカ (フィンランド)|ルカ]]で2連勝 (第3戦は[[葛西紀明]]と同点優勝) を果たすが、年が明けた1月6日の[[スキージャンプ週間]]の最終戦のオーストリアのビショフスホーフェンで着地に失敗し転倒、重度の脳震盪と打撲で入院<ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/3035905 大クラッシュのアマン、絶対安静で入院へ]</ref>。
 
[[2015年]]の事故以来表彰台から遠ざかっていたが、[[2018年]]1月13日にワールドカップW杯[[リア・ミッテルンドルフ]]タウプリッツ大会にて3位に入り、自身3シーズンぶりとなる表彰台に登った<ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/3158436?cx_position=4 スティエルネンがフライングヒルでW杯初優勝、葛西は今季最高の5位]</ref>。また、これにより史上4人目となるワールドカップ通算80度の表彰台獲得入りを達成した。
その翌月には[[冬季2018年平昌オリンピック]][[2018年のスキージャンプ競技|平昌オリンピック|平昌大会]]に出場し、結果ノーマルヒル個人にて11位、ラージヒル個人にて13位に終わり、前大会に引き続きメダルの獲得はならなかった。
 
== 主な競技成績 ==
79行目:
{| class="sortable wikitable" style="text-align: center; line-height:1.4em; font-size:95%;"
|-style="line-height:1.25em; white-space:nowrap;"
!colspan=6|個人総合成績 (<small>総合:[[スキージャンプ・ワールドカップ|W杯シーズン]]個人総合、4H:[[スキージャンプ週間]]総合、SF:{{仮リンク|スキーフライングW杯|en|FIS Ski Flying World Cup}}</small>)
|-
!style="width:70px;"|シーズン
!style="width:70px;"|総合
!style="width:70px;"|4H
!style="width:70px;"|SF
!style="width:70px;"|優勝
!style="width:70px;"|準優勝
!style="width:70px;"|3位
|-
|1997/98|
|70位|
|48位
|
|0回||0回||0回
|-
|1998/99|
| |
|62位
|
|0回||0回||0回
|-
|1999/00|
|45位|
|70位
|
|0回||0回||0回
|-
|2000/01
|2000/01||{{Display none|/}}---||{{Display none|/}}---||0回||0回||0回
| —
| —
| —
|0回||0回||0回
|-
|2001/02
|2001/02||{{Display none|0}}7位||{{Display none|0}}6位||1回||2回||2回
|7位
|6位
|rowspan=7|
|1回||2回||2回
|-
|2002/03|
|28位|
|24位|
|0回||0回||0回
|-
|2003/04|
|13位|
|14位|
|0回||3回||0回
|-
|2004/05|
|23位|
|37位|
|0回||0回||0回
|-
|2005/06|
|17位|
|13位|
|0回||0回||0回
|-
|2006/07
|2006/07||style="background-color: #c96; text-align: center;" |{{Display none|0}}3位||style="background-color: #c96; text-align: center;" |{{Display none|0}}3位||2回||5回||2回
|align=center bgcolor=#c96|3位
|align=center bgcolor=#c96|3位
|2回||5回||2回
|-
|2007/08
||{{Display none|0}}9位|
|15位|
|0回||0回||2回
|-
|2008/09
|2008/09||align=center bgcolor="silver"|{{Display none|0}}2位||align=center bgcolor="silver"|{{Display none|0}}2位||5回||8回||4回
|align=center bgcolor="silver"|2位
|align=center bgcolor="silver"|2位
|align=center bgcolor=#c96|3位
|5回||8回||4回
|-
|2009/10
|2009/10||align=center bgcolor="gold"|{{Display none|0}}'''1位'''||{{Display none|0}}5位||'''9回'''||5回||2回
|align=center bgcolor="gold"|'''1位'''
|5位
|align=center bgcolor=#c96|3位
|'''9回'''||5回||2回
|-
|2010/11
|2010/11||align=center bgcolor="silver"|{{Display none|0}}2位||align=center bgcolor="silver"|{{Display none|0}}2位||3回||1回||6回
|align=center bgcolor="silver"|2位
|align=center bgcolor="silver"|2位
|5位
|3回||1回||6回
|-
|2011/12
|2011/12||11位||19位||0回||2回||2回
|11位
|19位
|align=center bgcolor=#c96|3位
|2011/12||11位||19位||0回||2回||2回
|-
|2012/13|
|14位|
|27位
|10位
|0回||1回||1回
|-
|2013/14
|2013/14||{{Display none|0}}7位||style="background-color: #c96; text-align: center;" |{{Display none|0}}3位||1回||2回||2回
|7位
|align=center bgcolor=#c96|3位
|4位
|1回||2回||2回
|-
|2014/15|
|11位|
|17位
|
|2回||2回||2回
|-
|2015/16|
|15位|
|11位
|15位
|0回||0回||0回
|-
|2016/17|
|29位|
|44位
|24位
|0回||0回||0回
|-
|2017/18
|2017/18||18位||29位||0回||0回||1回
|19位
|29位
|align=center bgcolor=#c96|3位
|2017/18||18位||29位||0回||0回||1回
|-
|2018/19
|24位
|13位
|13位
|0回||0回||0回
|-
|-class="sortbottom" style="background-color:#e6e6e6;"
|合計||---||--- — || — ||23回||31回||26回
|-
|}