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=== 市制施行後 ===
福山市は[[大正]]5年([[1916年]])7月1日に全国で73番目、広島県では広島、尾道、呉に次ぐ市として誕生した。市制施行当時は旧城下町を中心とする地域で人口は32,356人であったとされる。
しかし、発足後の道程は平坦ではなく、市制施行間もなくの大正7年([[1918年]])には[[米騒動]]、その翌年の大正8年([[1919年]])には大水害に見舞われ、大正末期には軍縮の影響での陸軍41連隊が廃止の計画が持ち上がった。41連隊の廃止は市の財政破綻にも繋がりかねなかったが、これは市の陳情により回避されることになった。
 
その後、福山市は順調な発展や周囲の村を吸収合併して市域を広げたことなどから、平野部が少なく開発の余地がない尾道市に替わって広島県東部の中心都市となっていった。しかし、昭和20年([[1945年]])の[[福山大空襲]]により市街地は壊滅的な打撃を受けた。それでも戦後の[[高度経済成長]]の波に乗り復興を遂げていき、地場産業の隆盛と中でも日本鋼管福山製鉄所の誘致により企業城下町として急激に開発が進んで人口が増加していった。昭和後期になると高度経済成長時代の終焉や鉄鋼不況などにより人口は約37万人程度で頭打ちとなったが、この頃には製鉄所の町から県東部の中心地へと脱却していった。そして、[[日本の市町村の廃置分合|平成の大合併]]により市域は更に拡大し、ほぼ旧福山藩領であった地区になり人口は約45万人に達するが、近年の実質的な人口増加率は微増にとどまっている。