「新潟県中越地震」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
270行目:
* [[排気ガス]]中の[[一酸化炭素]]吸入による[[一酸化炭素中毒]]
 
また[[風邪]]や[[肺炎]]が流行したほか、[[避難所]]生活、及びおよじその後の[[仮設住宅]]における生活で仕事を失い、あるいは畑仕事などの作業ができなくなり、運動不足と孤立により高齢者の心身が急速に衰える[[廃用症候群]]が広がっている。11月以降、小千谷市など被災地では病死が例年の2倍程度になっており、震災の影響が指摘されている。
 
=== 被災者に対する経済的・心理的被害 ===
276行目:
==== 詐欺などの悪質犯罪 ====
{{独自研究|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
{{要出典範囲|電話で警察、消防、自衛隊などを騙るなどして「救出活動の経費負担を」などと持ちかける振り込め詐欺、[[日本赤十字社]]や[[共同募金]]など実在の団体名を騙りまったく無関係の振込先口座番号に振り込ませようとする義援金詐欺、「ボランティアで来ている。家の補修工事を手伝わせてほしい」などと称してごく簡単な応急的な作業を行った後に多額の代金を請求する詐欺が発生している。|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}また、{{要出典範囲|退避勧告中の家の中から貴重品が盗まれたり、被災地の銀行・郵便局の[[現金自動預け払い機|ATM]]に荒らされた形跡があったりした。|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
<!--治安については検証可能かつ信頼できる情報源を提示できない情報を書くべきではありません。流言飛語に繋がります-->
 
282行目:
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
{{独自研究|section=1|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}
* 避難者は最大10万人以上に達した<ref name="岡田2014p101">[[新潟県中越地震#岡田 2014|岡田2014]], p. 101.</ref>。各地に設置された避難所では、1箇所でも数千人以上の人数が避難してきたところが多かった。災害時には学校の体育館などを避難所にすることが多いが、これだけの人数を一度に収容できる体育館や施設は少なく、その結果避難者全員が横になって眠るスペースや毛布まで不足する事態が起きた。同様に地震発生後の支援活動が通信・交通網の途絶等のために遅れた地区では、水や食料品の調達・支援も1 - 2日止まったため、その間食事の配給ができない地区もあった{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。
* 各地の避難所に駆け込んだ人の中には、自宅は損壊もしていない無傷の状態の人も多かったが、自宅が壊れる前に頑丈な造りの避難所に行ったほうが安全と考え、続々と集まってくる避難者で各地の避難所はパンク状態に陥った。避難所が足の踏み場もないほどすし詰めになり、先にも書いたようなスペースと物資の不足もあって、いくつかの場所では精神的ストレスから避難者同士の衝突まで起きてしまった{{要出典|date=2016年7月9日 (土) 13:10 (UTC)}}。これらの理由から、すでにパンク状態の避難所には入らず屋外に停車させた車の中で寝泊りする避難者もいた。
* 地震発生後の死者・行方不明者は約30人であったが、その後、車内での寝泊まりなどに伴うエコノミークラス症候群や心身上の過労から倒れ、避難先や病院で死亡する「震災関連死」が続出した<ref name="岡田2014p101" />。
 
299行目:
 
==== 柏崎市を中心とする地震と水害 ====
* 2005年(平成17年)6月20日、13時す、ぎに中越地方を震源とする最大震度5弱(柏崎市高柳・長岡市小国)と4(柏崎市高柳)を観測する地震(中越地震の余震ではない別の地震)が相次いで発生し、中越地震の際に損傷を受けていた建物やゆるんでいた地盤が被害を受けた。
* 2005年(平成17年)6月28日、[[柏崎市]]内では、前日より降り続いていた雨が28日夕方まで降り続き、市内を流れる鯖石川や鵜川、谷根(たんね)川などの水が溢れ出し、住宅の床上浸水169件、床下浸水312件(2005年6月29日17時現在)などの被害が出た([[柏崎市]]発表)。中越地震や8日前の6月20日に発生した地震により、地盤が緩んでいる地域であったため、多くの箇所で土砂崩れや道路決壊などが発生した。
 
=== ペット、家畜の被災状況 ===
この新潟県中越地震で被災・避難した2頭の犬が、書籍が刊行されるなどして広く知られている。1頭は山古志村にいた「マリ」で、全村民が村外避難を余儀なくされたことで、マリをはじめとする犬などのペットは置き去りとなった<ref name="山古志住民会議">{{Cite web|url=http://www.yamakoshi.org/culture/culture06.html|title=新潟県中越地震|accessdate=2016-06-25|work=山古志のカルチャー|publisher=山古志住民会議}}</ref>。地震後4日目からは獣医師などがヘリで村に入り、犬や猫への給餌を開始した<ref>{{Cite news|title=いつもそばに 震災とペット (5) 避難所 中越の経験生かす|newspaper=読売新聞 岩手版|date=2015-02-28|url=http://www.yomiuri.co.jp/local/iwate/feature/CO013911/20150227-OYTAT50069.html|accessdate=2016-06-25}}</ref>。マリは地震当日の朝に出産していた3匹の子犬を守りつつ16日後に救助された。しかし避難所にはペットは入れず、マリと子犬たちは一時飼い主と離れることとなった<ref>{{Cite web|url=http://www.ntv.co.jp/don/contents03/2010/12/2007128.html|title=きょうは何の日「2007年12月8日 映画『マリと子犬の物語』が上映された日」|accessdate=2016-06-26|date=2010-12-08|work=DON!|publisher=日本テレビ}}</ref>。マリの話は絵本で紹介され、2007年には『[[マリと子犬の物語]]』として映画化された<ref name="山古志住民会議" />。もう1頭は小国町にいた盲導犬の「クララ」で、視覚障害者の女性とともに避難所に入った。避難所での動物の受け入れについて定めたマニュアルはなかったが担当職員が許可し、避難所にいた住民も犬を受け入れた。クララは避難所に盲導犬が入った日本初の事例であり<ref>{{Cite news|title=阪神大震災13年:災害弱者・あなたの隣に/上 避難所の盲導犬受け入れ態勢|newspaper=毎日新聞 滋賀版|date=2008-01-16|author=蒔田備憲|page=24|quote=''04年の新潟県中越地震で、「クララ」...と暮らす(引用略)さん...の自宅が半壊した。避難所には、...一時は約200人が集まっていたが、当時の担当職員はクララと一緒に避難所に入ることを認めた。...住民は拍手で歓迎した。クララは全国で初めて避難所に入った盲導犬になった。''}}</ref>、2005年に出版された『震災にあった盲導犬クララ』で紹介された<ref>{{Cite book|和書|author=石黒謙吾・構成|title=震災にあった盲導犬クララ|date=2005-10|publisher=[[双葉社]]|isbn=978-4-575-29845-1}}</ref>。新潟県中越地震で被災した犬は約2千頭、猫は約3千匹と推定されている<ref>{{Cite web|url=http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/554/175/tyuuetukiroku1-18.pdf|title=新潟県中越大震災 動物救済本部活動の記録 - 震災における被災動物等への支援|accessdate=2016-06-25|date=2015-04-23|format=PDF|publisher=新潟県|page=2}}</ref>。
 
闘牛([[牛の角突き]])の盛んな山古志村には多数の牛がいたが、地震発生時に牛舎が倒壊して約半数が死んだ。生き残った牛も全村民の避難時に村に置き去りとなったが、間もなく住民が余震の続く中を村に戻り、山道を移動したりヘリコプターで空輸するなどして数日内に全頭を救出した<ref name="山古志住民会議" />。山古志村では[[コイ#観賞魚・錦鯉・食料魚(ニシキゴイ)|錦鯉]]も養殖されていたが、地震により棚池の底にひび割れができて水が失われたり、棚堤防が決壊して流失したり、土砂崩れに埋まったりするなどして約80 %の錦鯉が死んだ<ref>{{Cite journal|和書|author=吉田芳春|date=2008-09|title=特集《農林水産分野における知的財産》 山古志村と錦鯉|url=https://www.jpaa.or.jp/activity/publication/patent/patent-library/patent-lib/200809/jpaapatent200809_069-072.pdf|journal=パテント|volume=61|issue=9|pages=pp. 66-72|publisher=[[日本弁理士会]]|accessdate=2016-07-09|format=PDF}}(参照ページ:p. 70.)</ref>。生産者らは生き残った錦鯉を救出し、ヘリコプターにて村外へ搬出した<ref>{{Cite web|url=https://www.s.affrc.go.jp/docs/gikai/pdf/1608_siryou5_3.pdf|title=資料5-3 新潟県中越地震にかかる錦鯉養殖業への技術的対応について|accessdate=2016-07-09|author=[[水産総合研究センター]]、[[水産庁]]栽培養殖課|date=2004-11-16|format=PDF|work=平成16年度第8回農林水産技術会議(懇談会)|publisher=[[農林水産省]]}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.japan-nishikigoi.org/japanese/report.html|title=現地レポート|accessdate=2016-07-09|date=2004-11-19|publisher=国際錦鯉普及センター}}</ref>。