「農林水産大臣」の版間の差分

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そして、[[若林正俊]][[環境大臣]]の兼任を経て[[8月27日]]に発足した[[第1次安倍内閣 (改造)|安倍改造内閣]]では[[遠藤武彦]]が就任するも、置賜農業共済組合掛金不正受給問題などを追及され、[[9月3日]]に辞任。在任期間8日間という近年では稀に見る異例の事態となった。後任はまたも若林。同一政権下で臨時兼任も含めると3か月余りの間で3度目の農水相就任となった。退任後の[[2010年]][[4月2日]]、[[参議院]]本会議での不正投票問題によって議員辞職に追い込まれた。
 
[[2008年]]8月、[[太田誠一]]による[[事務所費]]問題も浮上し、在任中に事故米不正転売事件に関する発言が問題視された。[[9月19日]]、事故米の不正転売の責任を明確にするということで、[[福田康夫]]首相に辞表を提出。太田も赤城同様、同選挙で落選した。太田の辞任後は[[内閣官房長官]]の[[町村信孝]](町村は同総選挙で小選挙区落選。比例で復活)が臨時代理を務めていたが、[[麻生内閣]]で農林水産大臣に就任した[[石破茂]]は、この事態に「誰から事務引き継ぎするの?」と就任時の[[インタビュー]]で皮肉を漏らした。[[2009年]]に誕生した[[鳩山由紀夫内閣|鳩山内閣]]の[[赤松広隆]]は翌年の[[2010年日本における口蹄疫の流行|口蹄疫問題]]への対応の遅れで強い批判を浴び、閣僚の大半が残留した6月の[[菅内閣]]の誕生に当たって、事実上責任を取る形で退任した。後任として副大臣から昇格した[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]は、職務そのものは無難につとめたものの、[[2010年9月民主党代表選挙]]で首相と対立する[[小沢一郎]]候補を支援したこともあり、わずか3か月で退任となった。[[菅内閣 (第1次改造)|菅第1次改造内閣]]からは[[鹿野道彦]]が職務を無難にこなしたが、中国書記官のスパイ疑惑([[李春光事件]])に直面してしまい、[[2012年]]6月の[[野田内閣 (第2次改造)|野田第2次改造内閣]]発足に伴い退任した。後任として鳩山・菅内閣で農水副大臣を経験した[[郡司彰]]が大臣に就任し、政権交代までつとめた。同年12月に行われた[[第46回衆議院議員総選挙]]では山田、鹿野両者とも[[比例復活]]できずに落選、その後の[[第23回参議院議員通常選挙]]では[[参議院比例区|比例区]]に出馬したものの落選した。短期間ながら職務そのものは無難にこなした山田、スパイ疑惑に直面するまでの鹿野が1年以上大臣職務を無難にこなし、後任の郡司も解散総選挙による政権交代で退任となっており、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]政権に入ってからは不祥事による大臣辞任や大臣辞任後の不幸は減った。民主党政権から自民党へ政権が戻り、大臣に就任した[[林芳正]]は鹿野同様1年以上職務を無難にこなしたものの、後任の[[西川公也]]は就任早々数々の不祥事が発覚。2014年の[[第47回衆議院議員総選挙]]で民主党の[[福田昭夫]]に敗北、現職の閣僚ながら比例復活となり、[[2015年]]に辞任。前任の林が再登板することとなった。[[2016年]][[8月3日]]発足の[[第3次安倍内閣 (第2次改造)|第3次安倍再改造内閣]]では[[山本有二]]農水相が[[環太平洋パートナーシップ協定|TPP]]法案の採決に関する失言を繰り返し、野党から追及を受けて法案採決拒否に持ち込まれた。また、その翌年の[[第48回衆議院議員総選挙]]では上記の失言のせいか辛くも[[比例四国ブロック]]の最後の1枠に滑り込む結果となった。続く[[第3次安倍内閣 (第3次改造)|第3次安倍第3次改造内閣]]では、[[齋藤健]]が当選3回ながら農水相に大抜擢。職務を無難にこなしたものの、自民党総裁選をめぐり、「石破さんを応援するんだったら辞表を書いてからやれ」(齋藤自身は[[水月会|石破派]])と圧力をかけられたと主張しその後の内閣改造で退任となった。[[第4次安倍内閣 (改造)|第4次安倍改造内閣]]で就任した[[吉川貴盛]]は[[北海道議会|北海道議選]]に出馬予定の自身の次男を政務秘書官に任命したため野党から追及を受けた。
 
なお、[[日本国憲法]]下において罷免された閣僚は5名であるが、3名が農相である。