「コヴェントリー・クライマックス」の版間の差分

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=== F1 ===
[[{{F1|1957年]]}}にFWBと2,000ccにスケールアップされたFPFを[[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]]に供給してF1参戦開始。[[{{F1|1958年]]}}にはFPFエンジンの排気量は2,200ccまで拡大され、194馬力/6,250回転の出力を発生。信頼性は高いものの、2,500ccエンジンに比べると非力な感は否めなかった。しかし、ミッドシップにクライマックスエンジンを搭載したクーパーは、十分な戦闘力を発揮した。
 
[[{{F1|1959年]]}}にはシリンダーブロックが設計しなおされて2,500ccのFPFエンジンが開発された。240馬力/6,750回転の出力を発生した。依然として[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]などのイタリア勢には及ばなかったが、この新エンジンはクーパーのほかに[[チーム・ロータス|ロータス]]にも供給された。クーパー・クライマックスをドライブした[[ジャック・ブラバム]]が1959年と[[{{F1|1960年]]}}の2年連続でチャンピオンを獲得した。
 
[[{{F1|1961年]]}}からは、NAエンジンの排気量が1,500cc以下に縮小された。これに対応したエンジンが間に合わなかったため、[[フォーミュラ2|F2]]用エンジンの改造版である4や1,500ccに縮小したFPFが暫定的に使用された。このとき、エンジンと[[シャシ (自動車)|シャーシ]]のフルコンストラクターであった[[ブリティッシュ・レーシング・モータース|BRM]]にも、BRM自身のエンジン開発の遅れからクライマックスエンジンが供給された。
 
FWMVエンジンは1,500cc規定に対応したエンジンとして1961年後半にデビュー。当初は[[キャブレター]]には[[ウェーバー (企業)|ウェーバー]]のもの[[キャブレター]]を使用していたが<ref>林信次「F1全史 1961-1965」([[1963年ニューズ出版]])P.26</ref>、{{F1|1963}}以降は[[{{仮リンク|ルーカス・インダストリーズ|label=ルーカス|en|Lucas Industries}}の[[燃料噴射装置]]のものに変更されている<ref>林信次「F1全史 1961-1965」(ニューズ出版)P.66</ref>。このエンジンを使用した[[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]が1963年にワールドチャンピオンを獲得した。
 
[[{{F1|1964年]]}}には2バルブから4バルブに変更されると同時にショートストローク化された。4バルブエンジンは2バルブタイプよりも出力の面で優れていたが、信頼性が低く、ロータスと[[ブラバム]]に供給されるにとどまった。しかし、クラークはこのエンジンをうまく使いこなし、[[{{F1|1965年]]}}に再びワールドチャンピオンを獲得した。この頃には[[水平対向16気筒]]仕様のFWMWエンジンも開発していたが、ベンチテストで従来の[[V型8気筒|V8]]エンジンの出力には及ばず、1,500cc規定が1965年をもって終了することもあり、実戦に投入されることはなかった<ref>林信次「F1全史 1961-1965」(ニューズ出版)P.102,104</ref>
 
[[{{F1|1966年]]}}再びエンジン規定が変更され、NAエンジン排気量は最大3,000ccまでと規制が緩和された。このような度々のエンジン排気量拡大規定変更の[[F1レギュレーション|レギュレーション]]や資金難などがあり、コヴェントリー社はNA3,000ccエンジンを開発しないことを表明した。従来のクライマックスエンジンユーザーは新エンジンを見つけるまでの間、FWMVを排気量アップしたエンジンでその場をしのいだ。コヴェントリー・クライマックスは[[{{F1|1969年]]}}にF1から完全に撤退した。
 
== スペック ==