「コンスタンティン・チェルネンコ」の版間の差分

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1985年3月10日、チェルネンコは息を引き取った。医師団によると、チェルネンコは長年患っていた[[肺気腫]]の悪化による心肺機能不全による心拍動の停止が死因と発表された。
 
5日間の喪服期間の後、[[赤の広場]]で国葬が執り行われ、後継者となった[[ミハイル・ゴルバチョフ]]が葬儀委員長を務めた。葬儀には日本の[[中曽根康弘]]首相や[[安倍晋太郎]]外務大臣も参列した。
 
就任から1年余りの死であり国民には不人気な書記長であったが、一家の家長としてはかけがえのない人物であった。妻のアンナは葬儀の際、溢れ出る涙を流しながら亡夫にキスをし続けたという。