「相模原」の版間の差分

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相次ぐ陸軍施設の進出を背景にそれらの施設が集中する高座郡北部の上溝町、座間町ほか6村の合併による新都市建設への動きが活発化し、新自治体の呼称としてさまざまな候補の中から選ばれたのが「相模原」であった。これら2町6村の合併により[[1941年]](昭和16年)[[4月29日]]に'''高座郡相模原町'''が発足した。[[1954年]](昭和29年)[[11月20日]]に'''相模原市'''となる(旧座間町は1948年(昭和23年)に再分離し、現[[座間市]])。相模原町発足に先立つ同年[[4月5日]]、省線横浜線上に'''相模原駅'''が開業した。この駅は軍都計画によって建設される新都市の中心駅として設定されたものである。省線相模原駅の開業にともない、同日、小田急線の相模原駅は'''小田急相模原駅'''と改称した。
 
省線(国鉄)相模原駅の開業後、駅前に市街地が徐々に形成されたが、特に1954年4月に町役場(現市役所)が現在地に移転し、同じ頃に[[神奈川中央交通]]の[[神奈川中央交通東・相模原営業所|営業所]]が駅前に移転して市内各地への[[路線バス|バス]]路線の[[バスターミナル|ターミナル]]となると市内の中心商業地として発展した。1964年(昭和39年)に相模原市で住居表示を実施するにあたって最初の事業対象区域として市役所周辺とともに相模原駅周辺が選ばれ、同年5月1日、大字[[清兵衛新田]]と大字[[小山 (相模原市)|小山]]の各一部から'''相模原一丁目'''〜'''相模原八丁目'''が編成された。
 
== 沿革 ==