「ダンス・ミュージック」の版間の差分

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[[1950年代]]に[[ロックンロール]]、ロカビリー、[[1960年代]]後半に[[ソウルミュージック]]、[[リズム・アンド・ブルース]]などがダンスミュージックとして人気を集め、[[1970年代]]半ばから1970年代後半にかけて[[ディスコ (音楽)|ディスコ]]が流行。ディスコでは、フィリー・ソウルやサルソウル・サウンドを中心に、[[ストリングス]]など[[オーケストラ]]のサウンドが多く取り入れられた音楽も一部に存在したが、これはロックンロールの普及以後失われていたサウンドであった。また、[[ディスクジョッキー]]が[[レコード]]をかけるだけでダンスミュージックが成立する事は、バンドを雇うよりも費用の面で安上がりだった事も流行の要因にあげられる。1970年代後半にディスコは全盛期を迎えたが、ソウルやR&Bの衰退というマイナス面もあった。
 
1960年代から2010年代にかけてのシンセサイザーの発明・低価格化・普及・高機能化・ダウンサイジングの一連の流れはダンスミュージックの爆発的な進化を促した。1960年代末に、ミュージシャンにとって扱いやすいように設計された電子楽器であるモーグ・シンセサイザーが発明されて好評を博すと、ポピュラー音楽におけるシンセサイザーの応用が盛んに試みられるようになった。1970年代初頭にディスコブームと並行して[[電子音楽]]が普及して行き。1970年代前半にクラフトワークを中心にポピュラー化された電子音楽であるクラウトロックが注目されると、電子楽器の有効性が世界的に認められるようになった。その後、1977年にジョルジオ・モロダーの手によって、電子楽器のみでバックトラックが制作された世界初のディスコ音楽である、ドナ・サマーの「I Feel Love」が制作された。この楽曲はHi-NRGと呼ばれるジャンルの起源となった。1979年頃に世界中のリスナーから定型化され過ぎたディスコ音楽に対する批判的な意見が散見されるようになると、ダンスミュージックの電子化,コンテンポラリー化の実験として、後にポスト・ディスコと呼ばれるジャンルが立ち上がった。1980年代に入り、ポスト・ディスコから派生したHi-NRGが流行した後に、ストック・エイトキン・ウォーターマンの作品を中心としてユーロビートの爆発的ヒットが相次いだ。1980年代末にはハウスに続いて、[[ローランド・TB-303|TB-303]]による粘りのあるベース音が特徴的なアシッド・ハウスが流行し始めた。[[1990年代]]以降はサンプラーとPCM音源が普及し、ダンスビートの更なる複雑化が可能になり、登場順にみると、ハウス,テクノ,ヒップホップ,ユーロダンス,ハードコアテクノ,ジャングル,ドラムンベース,2ステップが世界を席巻して行った。日本国内ではグルーヴ感に乏しい昭和歌謡からの脱却が起き、[[小室哲哉]]の[[音楽プロデューサー|プロデュース]]による[[安室奈美恵]]、tRFなどがブームとなった。[[2000年代]]以降はPCにインストールされたDTMソフトウェアでダンスミュージックが制作されることが多くなり、[[エレクトロニック・ダンス・ミュージック]](通称、'''EDM''')が流行した。[[2010年代]]以降は[[ダブステップ]]<ref group="注">ダブステップではなく'''ブロステップ'''であるとする議論がある</ref>や[[エレクトロ・ハウス]]が流行した。2000年代末に気軽にインターネットで音楽作品の公開が行えるようになると、2010年にはダンスミュージックの現場とは関わりがないが、ダンスミュージックの形式を部分的に借りたネット音楽である、[[ヴェイパーウェイヴ]]という音楽まで登場した。
 
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