「ザ・クラッシュ」の版間の差分

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SINNED (会話 | 投稿記録)
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== 来歴 ==
[[1975年]]、[[ミック・ジョーンズ]]は“LONDON SS”というバンドで活動し、マネージャーはのちにクラッシュのマネージャーになる[[バーニー・ローズ]]であった。“LONDONLONDON SS”SSのボーカリストのオーディションに[[ポール・シムノン]]が参加し、ジョーンズと知り合う。一方、[[ジョー・ストラマー]]はそこそこ人気のあったパブロック・バンド“101'ers”のボーカリストとして活動していた。
 
[[1976年]]、“LONDONLONDON SS”SSは解散。バーニー・ローズは引き続きジョーンズのマネージャーを務め、新たにバンドを結成すべくジョーンズと画策する。同年2月にセックス・ピストルズを見て衝撃を受けたジョーンズは、セックス・ピストルズと同じ方向性を目指すことを決意。ギターを全く弾けなかったシムノンに声をかけ、ギターよりも簡単なベースの担当とし、ボーカリストを本格的に探し始める。ほどなくして“101'ers”の演奏を見てストラマーを気に入った3人は、終演後にストラマーを呼び出し、“101'ers”を辞めて自分たちのバンドに参加しないかと打診。48時間以内に返事をするよう言い残して立ち去るも、最初の24時間でストラマーが参加することを決断し、クラッシュが誕生することとなる。
 
同年[[7月4日]]、セックス・ピストルズと共に[[シェフィールド]]のホワイト・スワンで初ライブを行う。[[1977年]][[1月25日]]、[[コロムビア・レコード|CBSレコード]]と契約する。尚、契約当時には既にギターの[[キース・レヴィン]]は解雇、ドラムの[[テリー・チャイムズ]]は脱退しており、契約後に正式メンバーとしてドラムの[[トッパー・ヒードン]]が加入する。
 
イギリスにおいては、1stアルバム『[[白い暴動 (アルバム)|白い暴動]]』から非常に高い人気を獲得する。