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[[File:Mototsu.jpg|thumb|600px|橋本哲朗宅を取り囲み罵声を浴びせる部落解放同盟や解放研らの面々。]]
{| class="wikitable floatright" style="font-size:80%; width:40%"
|+ 事件発生の時系列
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| || style="text-align:center;" | 11月22日 || '''八鹿高校事件発生。'''
|}
'''元津事件'''(もとつじけん)とは、[[1974年]][[9月8日]]から同年[[9月9日]]にかけて、[[兵庫県]][[朝来郡]][[朝来町]](現在の[[朝来市]])岩津(通称元津)の路上で[[部落解放同盟]]員の集団が[[日本共産党]]の幹部や教職員組合役員たちの自宅取り囲み抗議監禁し、暴・脅迫行っ加えた事件。'''朝来事件'''とも呼ばれる。[[ファイル:基礎自治体位置図 28225.svg|thumb|300px|事件が発生した[[兵庫県]][[朝来郡]][[朝来町]](現・[[朝来市]])の位置。<br/>1976年撮影の3枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]]
 
== 経緯 ==
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[[1974年]][[9月9日]]、部落解放同盟員40人~50人が<ref>部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.259</ref>兵庫県朝来郡朝来町の路上で橋本哲朗など部落解放同盟に批判的な10名を取り囲み、約10時間にわたり'''「割り木で殴り殺したろか」'''<ref name="資料編258">部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.258</ref>「大根みたいに切り刻んでやろか」<ref name="資料編258" />「差別者、糾弾する」「ビラ撒いたやろ」「1日で済む思ったら大間違いだ。1週間でも10日でもやってやる」などと怒号し、なおかつ左足を踏みつける・足を蹴る・小突くなどの暴力をふるい<ref name="資料編258" />、同人らを不法に監禁した<ref name="資料編213">部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.213</ref>。事件後も橋本には耳鳴りや難聴などの障害が残った<ref>部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.296</ref>。この事件は'''第一次朝来事件'''とも呼ばれる<ref>[http://hyogo-minpo.blogspot.jp/2014/09/402.html 兵庫民報Web版: みなさん、ぜひご参加ください「八鹿高校事件から40年、養父不当捜査事件2年―いま、あらためて真実を問うつどい」]</ref>。
 
=== 橋本哲朗宅・木下元二議員包囲事件 ===
さらに部落解放同盟員らは、[[1974年]][[10月20日]]から朝来町の橋本宅の近所にテントを張り、「橋本哲朗糾弾闘争本部」の看板を掲げて'''「お前を殺して部落が解放されるんだ」'''などとマイクでアジテーションを行っていたが<ref>部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.220</ref>、[[10月22日]]になるとさらにエスカレートし、[[10月26日]]まで最盛時は連日500名~2000名で<ref>部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.262</ref>橋本宅を取り囲み、ハンドマイクや肉声で「橋本糾弾」「橋本出て来い」「お前は完全に包囲されている。今すぐ出てきなさい。わしらを怒らせたら怖いぞ」「子供が可愛くないのか」「最後の最後まで闘うぞ」「橋本よ、差別者よ、おまえのようなやつは今度生まれるときは犬に生まれ、犬でも赤犬ではなくせめて白犬に生まれ」<ref name="第073回国会">[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/073/1050/main.html 第073回国会 地方行政委員会 第3号 昭和四十九年十一月八日(金曜日)]</ref>「きさまはいいけれども、きさまの子供はこの先どのようにして生きるか。犬畜生。学校に行って子供はどのように言われているか、知っているか」<ref name="第073回国会" />などと怒号し、ほぼ昼夜を分かたず、アジ演説、シュプレヒコール、解放歌の合唱などを繰り返し、罵声を浴びせ、橋本宅に夜通し照明灯を照射し、焚き火を燃やし、橋本を延べ5日間、90時間以上にわたり不法に監禁した<ref>部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.307</ref>。このとき、部落解放同盟と共闘関係にある[[全日本自治団体労働組合|自治労]]や兵教組、県の出先機関、婦人会、社会党県議、校長に引率された解放研の中学生らも橋本一家への嫌がらせに加勢し、「橋本、クソアホー」などとマイクで罵っている<ref>兵庫人権問題研究所編「今、あらためて八鹿髙校事件の真実を世に問う : 一般社団法人兵庫人権問題研究所開所40周年記念 : 「八鹿高校事件」40周年」(兵庫人権問題研究所, 2014)p.349</ref>。このほか、橋本宅に浴びせられた言葉には以下のものがある<ref name="八木川">「八木川の流れ絶えることなく いま、あらためて語る“あの日々”のすべて」(公正民主的な同和行政と地方自治・教育・人権を守る兵庫県共闘会議, 1981)p.38-39</ref>。
 
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橋本宅包囲のさなか、部落解放同盟兵庫県連合会沢支部長のMは「われわれは国家権力は何らおそれない、この事態に対して責任はおれが負う」と豪語していたが、後には町の中を歩いて「ああいうようにおれが言ったということは警察が来たら言わなんでくれ、これはそれぞれがやったことにしておいてくれ」と頼んで回り、証拠隠滅を図っていたとも指摘されている<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/073/0050/07311120050003a.html 第073回国会 地方行政委員会 第3号 昭和四十九年十一月十二日(火曜日)]</ref>。
 
その一方また、兵教組朝来支部内では、橋本ら執行部が解放同盟と敵対する方針をとり続けたことに対して組合員からの批判が高まり、事実上支部長を更迭され、支部として橋本らを支援しないことを決議し支部執行体制が刷新された。
 
この時期、南但馬の「行政確認会」では部落解放同盟と町長の間で
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とのやり取りもあったという<ref>『赤旗』1974年11月5日掲載の地元住民の座談会。</ref>。
 
その一方、兵教組朝来支部内では、橋本ら執行部が解放同盟と敵対する方針をとり続けたことに対して組合員からの批判が高まり、事実上支部長を更迭され、支部として橋本らを支援しないことを決議し支部執行体制が刷新された。
 
== 刑事判決 ==
[[八鹿高校事件]]その他一連の集団暴力事件の[[公判]]と併合され、審理された。
 
[[1983年]][[12月14日]]、神戸地方裁判所は、事件の背景には、部落解放同盟と日本共産党の対立があると指摘した上で、橋本らが配布したビラについて、「『この世の生き地獄』等の記載は解放同盟に対する批判の域を出て、それに対する恐怖心をいたずらに起こさせ、ひいては被差別部落出身者に対する差別意識を助長するもの」と述べ、「橋本の行動は適切を欠く」と認定しながらも、解放同盟の抗議行動には行き過ぎがあり、一部の起訴事実については無罪とした上で可罰的違法性を認定できると判断した。その結果[[被告人]]13名全員に[[懲役]]3年([[執行猶予]]4年)から懲役6月(執行猶予2年)の有罪判決が下った<ref>部落解放研究所編『戦後 部落問題関係判例[資料編]』p.205</ref>(この間、被告人1名が死亡)。[[1988年]][[3月29日]]、[[大阪高等裁判所]]にて検事・被告人双方からの[[控訴]][[棄却]]。[[1990年]][[11月28日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]にて被告人からの[[上告]]棄却。被告人全員の執行猶予付き有罪が確定した。
 
== 民事判決 ==
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{Crime-stub}}
 
{{pref-stub|pref=兵庫県}}
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:もとつしけん}}
[[Category:1974年の日本の事件]]
[[Category:被差別部落1974年9月]]
[[Category:昭和時代戦後の事件]]
[[Category:日本のテロ事件]]
[[Category:日本の判例]]
[[Category:部落解放同盟の事件]]
[[Category:被差別部落]]
[[Category:朝来市の歴史]]
[[Category:日本共産党の事件]]