「唐辛子」の版間の差分

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1614年の『芝峰類説』では「南蛮椒には大毒があり、倭国からはじめてきたので、俗に'''倭芥子'''(倭辛子)というが、近ごろこれを植えているのを見かける」と書かれており、イ・ソンウ(李盛雨)が『高麗以前の韓国食生活史研究』(1978年)にて日本からの伝来説を示して以降、それが日韓共に通説となっている。伝来理由としては[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]のときに武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として日本からの兵([[加藤清正]])が持ち込んだものである。『花譜』や『[[大和本草]]』([[貝原益軒]]著)などには「昔は日本に無く、秀吉公の朝鮮伐の時、彼の国より種子を取り来る故に俗に高麗胡椒と云う」などと朝鮮から渡来したことが書かれている。これは一見相反するが、日本に唐辛子が伝わった当初は、西日本を中心にしか広まっておらず、その後、[[豊臣秀吉]]の朝鮮出兵に従事した兵士により日本へ唐辛子が逆輸入された事で、朝鮮から日本へ来たものと考えた日本人がいた、という解釈がある<ref name="noppou"/><ref>[[朝倉敏夫 (人類学者)|朝倉敏夫]]『世界の食文化 1 韓国』ISBN 4540050095</ref>。
 
[[1460年]]に発刊された『食療纂要』にチョジャン(椒醤)という単語があるとし、それが[[コチュジャン]]を意味するもので、日本伝来の唐辛子とは違う韓国固有の唐辛子はすでにあったと主張する韓国の研究者も存在する(椒は一般に唐辛子(ナス科)ではなく花椒(ミカン科山椒)を示す。)<ref name="noppou">2009.2.19 中央日報 [http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=111578&servcode=400&sectcode=400 唐辛子、朝鮮初期にもあった]</ref>。しかしこの説に対し、1670年の料理書『飲食知味方』に出てくる数多くの[[キムチ]]にも唐辛子を使用したものは一つも見られず、 韓国の食品に唐辛子を使用した記録が19世紀に少し出てくる程度であることから疑問も呈されている<ref>2009.02.21 中央日報[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=111671&servcode=100&sectcode=120 【噴水台】キムチ・ミステリー]</ref>。
 
== 唐辛子を利用した調味食品の例 ==