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[[天照大神]]の「御神体」としての「八咫鏡」は[[伊勢神宮|神宮]]の[[皇大神宮|内宮]]に変わらず奉安されている。[[神道五部書]]等(神道五部書そのものは「偽書」との指摘もある)によればこの「八咫鏡」は「八葉」という。この「八咫鏡」は、明治初年に[[明治天皇]]が天覧した後、あらためて内宮の奥深くに奉納安置されたことになっている。
 
この「神宮の八咫鏡」の「最初の姿と大きさ」は、考古学者[[原田大六]]によれば、[[福岡県]][[糸島市]]にある「[[平原遺跡]]出土の[[大型内行花文鏡]](内行花文八葉鏡)と、同じ形状で同じ大きさのものではなかったか」と考察して、それを著書に記している。原田によれば「御鎮座伝記を読み解いてみると、約三回ほど内宮の火災があり、このいずれかに焼失してしまい(一度だけとは限らないかも、とも)、その時に新たに作り直された八咫鏡は、現在に残る桶代(御神体の入れ物)の大きさから推定して、直径46.5cmの大きさではなくなっている」という。また、「図象も実際に見て模写するべくもないであろうから、これも変化しているだろう」という{{要出典|date<ref name=2015年2月}}":0" />
 
=== 宮中賢所の八咫鏡 ===
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== 考古遺物 ==
[[福岡県]][[糸島市]]にある遺跡「[[平原遺跡]]」において出土した[[国宝]]に指定されている直径46.5cmの[[大型内行花文鏡]](内行花文八葉鏡)4面(後に5面に修正)は[[原田大六]]によると八咫鏡そのものという<ref>[[原田大六]]『実在した神話』</ref><ref name=":0">原田大六『平原弥生古墳 大日孁貴の墓』</ref>。
この「大型内行花文鏡」は、図象のみの大型の青銅鏡である。つまり、文字や神獣などの図柄は無い。
また、『[[御鎮座伝記]]』に「八咫鏡」の形は「'''八頭花崎八葉形也'''」とあり、この「八頭花崎八葉形也」の図象を持つ考古遺物は現在のところ、この「大型内行花文鏡」のみである。