「新婚旅行」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m →‎昭和中期: 内部リンク
29行目:
[[1947年]](昭和22年)の大幅な[[民法]]改正により、夫婦は対等な個人同士となった。加えて、[[1959年]](昭和34年)に[[明仁|皇太子明仁親王]]と[[皇后美智子|正田美智子]]が、翌[[1960年]](昭和35年)に[[島津貴子|清宮貴子内親王]]と[[島津久永]]が、それぞれ結婚した際には「恋愛結婚」であったと大々的に報じられ、若者の結婚観も変化していく。昭和30年代から40年代にかけ、恋愛結婚の割合が増加し、[[見合い]]結婚を上回るようになった。
 
加えて同時期は、日本の[[高度経済成長]]期にあり、婚姻数の増加と消費拡大を背景に、結婚式は自宅ではなく式場・ホテルで行われ、さらに旅行会社による「セット旅行」として商品化され、利用されるようになった<ref name="onishi2014-82">[[#大西 2014|大西 2014]] p.82</ref>。関東近傍では、[[伊豆半島|伊豆]]や[[箱根]]、[[熱海市|熱海]]などの温暖な温泉地が人気があった<ref name="onishi2014-82"/>。[[1959年]](昭和34年)には、国鉄が新婚カップル用の[[周遊きっぷ#周遊券|ことぶき周遊券]]を発売した(当初、601キロ以上が適用)。
 
さらに、[[宮崎県]]が絶大な人気を集めるようになり、最盛期の[[1974年]](昭和49年)には婚姻数100万組のうち約37万組が同地を訪問した<ref name="onishi2014-83">[[#大西 2014|大西 2014]] p.83</ref>。宮崎県は[[1960年]](昭和35年)に島津貴子・久永夫妻が新婚旅行で同地を訪問<ref group="注釈">久永の父:[[島津久範]]は、旧[[佐土原藩]]主家の末裔[[島津忠麿]]の養子として同家を継承。佐土原藩は[[日向国]][[那珂郡 (日向国)|那珂郡]]および[[児湯郡]](現在の宮崎県の日南海岸沿い)を領有していたため、久永・貴子夫妻とも縁のある地であった。久範自身は、第29代薩摩藩主[[島津忠義]]の七男。なお忠義の八女[[邦彦王妃俔子|俔子]]は[[久邇宮邦彦王]]に嫁し、貴子及び[[明仁|今上天皇]]らの祖母となる。</ref>、さらに[[1962年]](昭和37年)に皇太子・美智子妃夫妻が行啓したことで注目され、メディアにより憧れの地と言うイメージが高まった<ref name="onishi2014-83"/>。[[宮崎県]]や[[国鉄]]、[[宮崎交通]]も、戦前期の「皇祖発祥の地」から転換を迫られていた背景<ref name="moritsu-2">[[#森津 2012|森津 2012]] p.2</ref>もあり、フェニックス([[カナリーヤシ]])の植樹をはじめとするリゾートイメージの形成に力を入れ、新婚旅行客を誘致した<ref name="onishi2014-83"/>。また、映画『[[百万人の娘達]]』やNHKドラマ『[[たまゆら (テレビドラマ)|たまゆら]]』等のメディアにより相次いで南国イメージも強調、普及していった<ref name="moritsu-3">[[#森津 2012|森津 2012]] p.3</ref>。[[1967年]](昭和42年)から [[1972年]](昭和47年)には、[[宮崎県]]への新婚旅行客向けに、[[大阪駅|大阪]] - [[宮崎駅|宮崎]]間に臨時急行列車「[[彗星_(列車)#京阪神対日豊本線夜行優等列車沿革|ことぶき]]」号が運行された。一般的な訪問ルートに、[[青島神社]]や[[鵜戸神宮]]での子宝祈願、南国情緒ある[[青島リゾートこどものくに|こどものくに]]や[[サボテンハーブ園|サボテン公園]]の散策、さらに[[鹿児島県]]の[[都井岬]]が挙げられる<ref>[[#大西 2014|大西 2014]] p.30-31</ref>。
 
この他、東京からは、伊豆また箱根へ1から2泊程度の短い旅程や、宮崎同様に南国情緒を売りにした和歌山県の[[白浜町|白浜]](南紀白浜)への京都経由5日の旅程も人気があった<ref name="onishi2014-85">[[#大西 2014|大西 2014]] p.85</ref>。