「新婚旅行」の版間の差分
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加えて同時期は、日本の[[高度経済成長]]期にあり、婚姻数の増加と消費拡大を背景に、結婚式は自宅ではなく式場・ホテルで行われ、さらに旅行会社による「セット旅行」として商品化され、利用されるようになった<ref name="onishi2014-82">[[#大西 2014|大西 2014]] p.82</ref>。関東近傍では、[[伊豆半島|伊豆]]や[[箱根]]、[[熱海市|熱海]]などの温暖な温泉地が人気があった<ref name="onishi2014-82"/>。[[1959年]](昭和34年)には、国鉄が新婚カップル用の[[周遊きっぷ#周遊券|ことぶき周遊券]]を発売した(当初、601キロ以上が適用)。
さらに、[[宮崎県]]が絶大な人気を集めるようになり、最盛期の[[1974年]](昭和49年)には婚姻数100万組のうち約37万組が同地を訪問した<ref name="onishi2014-83">[[#大西 2014|大西 2014]] p.83</ref>。宮崎県は[[1960年]](昭和35年)に島津貴子・久永夫妻が新婚旅行で同地を訪問<ref group="注釈">久永の父:[[島津久範]]は、旧[[佐土原藩]]主家の末裔[[島津忠麿]]の養子として同家を継承。佐土原藩は[[日向国]][[那珂郡 (日向国)|那珂郡]]および[[児湯郡]](現在の宮崎県の日南海岸沿い)を領有していたため、久永・貴子夫妻とも縁のある地であった。久範自身は、第29代薩摩藩主[[島津忠義]]の七男。なお忠義の八女[[邦彦王妃俔子|俔子]]は[[久邇宮邦彦王]]に嫁し、貴子及び[[明仁|今上天皇]]らの祖母となる。</ref>、さらに[[1962年]](昭和37年)に皇太子・美智子妃夫妻が行啓したことで注目され、メディアにより憧れの地と言うイメージが高まった<ref name="onishi2014-83"/>。
この他、東京からは、伊豆また箱根へ1から2泊程度の短い旅程や、宮崎同様に南国情緒を売りにした和歌山県の[[白浜町|白浜]](南紀白浜)への京都経由5日の旅程も人気があった<ref name="onishi2014-85">[[#大西 2014|大西 2014]] p.85</ref>。
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=== 昭和後期 ===
[[1964年]](昭和39年)、海外旅行の自由化により、[[ハワイ州|ハワイ]]等の南国に貯金して赴くことがステータスになっていった<ref name="onishi2014-83"/>。さらに
[[1973年]](昭和48年)の[[変動相場制]]移行や、ホノルルやグアムの日本路線にジャンボジェット機を導入([[日本航空の歴史]]を参照)したことが追い風となり、続く昭和50年代には、ハワイも現実的に可能な新婚旅行先の一つとなった<ref>[[#大西 2014|大西 2014]] p.83-84</ref>。
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