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[[第二次世界大戦]]勃発後の連盟は各国代表が本国に帰還したことで規模縮小を余儀なくされたものの、一部専門家委員会の会合や予算執行などのための総会は開かれていた。また理事会は[[1939年]]12月、[[冬戦争|フィンランド侵略]]を理由にソ連を除名した。しかし、戦争の激化とともに総会・理事会の開催が困難となり、代替として総会議長である[[ユダヤ人|ユダヤ系]][[ノルウェー]]人の{{仮リンク|C・J・ハンブロ|en|C. J. Hambro}}を委員長とする管理委員会を結成し、戦時中も[[ロンドン]]、[[リスボン]]など場所を移して会合を続けた。[[1940年]]のドイツによる[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|フランス占領]]によってジュネーヴが地理的に孤立状態となったため、事務局など一部機関の移転が迫られた。事務局の一部機能を非加盟国である[[アメリカ合衆国]]の[[プリンストン (ニュージャージー州)|プリンストン]]、薬物部を[[ワシントンD.C.]]、財務部をロンドン、姉妹機関の[[国際労働機関]]を[[カナダ]]の[[モントリオール]]へと分散配置した。戦争による職員減少や分担金未納による予算不足により、活動は統計記録の維持など最小限のものとなったが、プリンストンでは戦後に新国際組織を創設する計画・議論が行われていた。やがて[[1943年]]の[[テヘラン会談]]で国際連盟から新設の国際平和組織へ移行することが合意となり、1944年の[[ダンバートン・オークス会議]]で[[国際連合憲章]]の原案が策定された。
 
国連発足後の[[1946年]][[4月8日]]、最後となる第21回総会を開催し、連盟の解散と資産を国連へ移行することを提案、[[4月18日]]の投票により決定し、[[4月20日]]に解散した。総会は国際連盟の創設者の一人である[[ロバート・セシル (初代セシル・オブ・チェルウッド子爵)|ロバート・セシル]]の結びのスピーチ"The League is dead; long live the United Nations!"(国際連盟は死んだ、国際連合万歳!)で幕を閉じた<ref>Scott, George (1973). The Rise and Fall of the League of Nations. Hutchinson & Co LTD. ISBN 0-09-117040-0.</ref>。[[国際司法裁判所]]や国際労働機関は国連に引き継がれた。
 
== 機関 ==